パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ
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パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ(Paul Georg von Möllendorff, 1847年2月17日 ツェーデニック - 1901年4月20日、寧波)は、ドイツの言語学者・外交官。19世紀後半に朝鮮の国王である高宗の顧問を務め、また中国学への貢献で知られる。また満洲語のローマ字表記を考案したことでも有名である。
注釈
- ^ 壬午軍乱は1882年7月23日、大院君らの煽動を受けて、漢城で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱。日清両国が軍艦・兵士を派遣し、清国軍が大院君を捕縛し、身柄を拘束したことで収束した。
- ^ 壬午軍乱発生当時、忠州にかくまわれていた閔妃は軍乱収束後王宮にもどったが、その際ひとりの巫女をともなっていた。巫女は卑賎の出身であったが、閔妃の王宮帰還を予言するなどして閔妃の歓心を得て宮廷の賓客として遇された。やがて閔妃はこの巫女を厚く崇敬して毎日2回の祭祀を欠かさず、一族や高官にもこれを勧めたため、これにかかる費用は国庫をゆるがすほどの莫大なものとなったといわれる。呉(2000)pp.75-76
出典
- 1 パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフとは
- 2 パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフの概要
- 3 主要著作
- 4 外部リンク
固有名詞の分類
清朝の人物 | 黄宗羲 陸皓東 パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ 趙三多 査継佐 |
ドイツの貴族 | ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタイン ゲオルク・フォン・キュヒラー パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ ルドルフ・フォン・リッベントロップ エバーハルト・フォン・マッケンゼン |
ドイツの外交官 | ベルンハルト・フォン・ビューロー オイゲン・オット パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ ウィルヘルム・プラーゲ オットマール・フォン・モール |
ドイツの言語学者 | マックス・ファスマー パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ ユーストゥス・ゲオルク・ショッテル ヤーコプ・ベルナイス ヤーコプ・グリム |
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