パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 中国の歴史上の人物 > 清朝の人物 > パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフの意味・解説 

パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 03:42 UTC 版)

パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ(Paul Georg von Möllendorff, 1847年2月17日 ツェーデニック - 1901年4月20日寧波)は、ドイツ言語学者外交官。19世紀後半に朝鮮の国王である高宗の顧問を務め、また中国学への貢献で知られる。また満洲語ローマ字表記を考案したことでも有名である。


注釈

  1. ^ 壬午軍乱は1882年7月23日、大院君らの煽動を受けて、漢城で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱。日清両国が軍艦・兵士を派遣し、清国軍が大院君を捕縛し、身柄を拘束したことで収束した。
  2. ^ 壬午軍乱発生当時、忠州にかくまわれていた閔妃は軍乱収束後王宮にもどったが、その際ひとりの巫女をともなっていた。巫女は卑賎の出身であったが、閔妃の王宮帰還を予言するなどして閔妃の歓心を得て宮廷の賓客として遇された。やがて閔妃はこの巫女を厚く崇敬して毎日2回の祭祀を欠かさず、一族や高官にもこれを勧めたため、これにかかる費用は国庫をゆるがすほどの莫大なものとなったといわれる。呉(2000)pp.75-76

出典



「パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ」の関連用語

パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS