第一次露朝密約事件とは? わかりやすく解説

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第一次露朝密約事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 14:18 UTC 版)

露朝密約事件」の記事における「第一次露朝密約事件」の解説

最初露朝密約事件は、朝鮮政府外務協辦を務めていたパウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ主導によった1885年メレンドルフ朝鮮不凍港租借対価として、朝鮮保護軍事教官団を招聘することを試みたロシア教官団の招聘には応じることを検討し駐日公使館書記官のシュペイエルを漢城派遣したが、朝鮮政府内の異論清国当局反対により、密約成立しなかった。そして、メレンドルフこのような動きは、旧来の東アジア伝統的国際秩序近代的な条約に基づく関係に移行する中で、あくまでも朝鮮影響下に留め置こうとする清、とりわけ李鴻章目論見反していたために背信捉えられメレンドルフ失脚することとなったまた、メレンドルフからの要請とは別に朝鮮国王密使ロシア国境当局派遣されたが、これに対してロシア朝鮮保護に対して何ら言質与えない回答をするに留まった。

※この「第一次露朝密約事件」の解説は、「露朝密約事件」の解説の一部です。
「第一次露朝密約事件」を含む「露朝密約事件」の記事については、「露朝密約事件」の概要を参照ください。

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