第一次陰謀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:49 UTC 版)
「ルキウス・セルギウス・カティリナ」の記事における「第一次陰謀」の解説
キケロの古註によれば、アフリカから帰国すると執政官選挙へ立候補しようとしたが、属州民たちは元老院でカティリナに対する不満をぶちまけており、ルキウス・ウォルカキウス・トゥッルス (紀元前66年の執政官)が彼の立候補を認めるかどうか元老院に諮って却下した。 サッルスティウスによれば、前66年の12月、執政官選挙に当選したものの選挙運動法(de ambitu)違反で取り消されたプブリウス・アウトロニウスと、貧困のためやけくそになったグナエウス・ピソと共に、翌前65年の元旦に両執政官を襲い、ピソをヒスパニアへ送り込む陰謀を企んだものの事が漏れ、元老院議員まで標的としたが準備不足で頓挫した。ピソはマルクス・リキニウス・クラッススの力添えでヒスパニア・キテリオル担当のクァエストル・プロ・プラエトレ(プラエトル権限)として派遣されたが、任期中にグナエウス・ポンペイウス派に暗殺された。目的は、アウトロニウスらの有罪判決を覆すことであり、成功した暁には彼らがカティリナの紀元前64年の執政官就任を後押しする予定であったという。 この陰謀の裏に、クラッススとガイウス・ユリウス・カエサルがいたという説がある。この二人は、ポンペイウスに対する東方でのインペリウム付与法(ガビニウス法、マニリウス法)成立後に近づいたとみられ、スッラが東方からローマ市へ帰還した後の粛清の記憶も生々しく、彼らはポンペイウスに対抗するための軍を必要としていた。軍を駐屯させておくのにヒスパニアが最適なことは、当地でクァエストルを務めたカエサルらはよく心得ており、前65年にケンソルを務めたクラッススが手を回して、ピソを送り込んだという。さらに彼らは、プレブス民会にエジプトを属州化する法案を護民官に提出させ、その長官にカエサルを据えようとしたが、これは同僚ケンソルのクィントゥス・ルタティウス・カトゥルス・カピトリヌスが激しく反対したため失敗した。 ただ、この第一次陰謀は史料間の整合性から言って、カティリナが関与していた信憑性は低いという指摘もある。
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