第一次閉塞作戦とは? わかりやすく解説

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第一次閉塞作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 10:23 UTC 版)

旅順港閉塞作戦」の記事における「第一次閉塞作戦」の解説

2月18日東郷第三次行動となる旅順口閉塞港内間接射撃作戦発動命令した。5隻の老朽船と77名の志願兵からなる閉塞船団が組織され23日23時50分、警戒および襲撃任務とする第五駆逐隊司令真野太郎中佐陽炎不知火叢雲夕霧)と閉塞船団は旅順港近くの老鉄山下に進出した24日0時30分より月が没する黄金山城頭山・白銀山のロシア砲台からサーチライト照射始まった第五駆逐隊探照灯避けながら老鉄山東岸沿って徐々に進んだがついに発見された。1時30分に探照灯消灯乗じて偵察行ったところ、駆逐艦2隻と艦種不明の1隻を発見し、これに魚雷攻撃行った襲撃の後水雷艇用いた航路偵察が行われたが、探照灯により発見され砲撃受けた陸上砲台砲撃停止航路確認されたため、老鉄山沖に待機していた5隻の閉塞船団は4時15分より天津丸、報国丸仁川丸、武揚丸、武州丸の順で突入開始したロシア軍沿岸砲台からサーチライト激し砲撃浴びせられ閉塞船団は位置把握も困難となった報国丸戦艦レトヴィザンからの砲撃を受けつつもかろうじて湾口灯台下で自沈できたものの、他の閉塞船湾口の手前で自沈し、閉塞不十分なものとなった水雷艇隊は危険を冒して閉塞船から脱出した突入隊の収容行った天津丸・報国丸・武揚丸の乗員第十四艇隊により収容されたが、第九艇隊(燕欠)は攻撃行ったため仁川丸・武州丸の乗員収容が行えなかった。24日中に仁川丸・武州丸の乗員収容できなかったため、更に東郷長官25日千早龍田旅順口派遣して捜索続けた発見できなかった。 一方、両船の乗員達は砲火避け隠れながら洋上彷徨った後に偶然遭遇して合流しジャンク船等を使って清国煙台にたどり着き水野幸吉領事義太郎中佐と連絡を取ることに成功して帰還果たした。なお、この時海外メディア輸送船沈めたことを報じられ陸軍にも秘匿していた閉塞作戦明るみに出ることとなった。 この作戦機関兵1名が死亡した

※この「第一次閉塞作戦」の解説は、「旅順港閉塞作戦」の解説の一部です。
「第一次閉塞作戦」を含む「旅順港閉塞作戦」の記事については、「旅順港閉塞作戦」の概要を参照ください。

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