第一次電力国家管理
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1936年(昭和11年)3月成立の広田弘毅内閣、および翌1937年(昭和12年)6月成立の第1次近衛文麿内閣の下で、政府による電気事業の管理・統制を目指すいわゆる電力国家管理政策が急速に具体化され、日中戦争勃発後の1938年(昭和13年)4月、国策会社日本発送電を通じた政府による発送電事業の管理を規定する、電力管理法と関連法3法の公布に至った。 国策会社日本発送電の設立に際し、既存電気事業者が同社へと現物出資する設備の範囲は、最大電圧100kV以上の送電線とその他の主要送電線、ならびにそれらに接続する変電所、出力1万kW超の火力発電所、と決定された。この規定に基づき1938年11月24日、全国33の事業者を対象に設備出資命令が発せられた。矢作水力もこの受命者の一つであり、以下の設備の出資を命ぜられた。 送電設備 :泰阜日進線 : 泰阜発電所 - 日進変電所間(154kV線) 豊支線 : 豊変電所 - 泰阜日進線間(同上) 日進火力線 : 日進変電所 - 名古屋火力発電所間(77kV線) 鳴海日進線 : 日進変電所 - 松平名古屋線間(同上) 変電設備 : 日進変電所(愛知県愛知郡日進村) 発電設備 : 名古屋火力発電所(名古屋市港区昭和町) 出資は1939年(昭和14年)4月1日付で実施され、日本発送電が発足した。矢作水力に関する出資設備評価額は784万8153円とされ、出資の対価として日本発送電より同社株式15万6963株(額面50円全額払込済み・払込総額784万8150円)と端数分にあたる現金3円が交付されている。また出資設備の簿価は1938年上期末(1938年9月末)の時点で721万6000円であったが、これは当時の電気事業関係固定資産の1割弱に過ぎないため他の大手電力会社に比べると経営面での影響は小さかった。設備については翌1940年(昭和15年)2月15日付で同年1月に完成した南向泰阜送電線(南向・泰阜両発電所間の154kV送電線)も譲渡している。 日本発送電への一部送電線出資と、大同電力がその全設備を日本発送電へ委譲して解散したことで、矢作水力の大口供給先であった東邦電力・大同電力の2社は日本発送電へと置き換えられた。その一方で工場への供給は供給量の増加はみられるものの供給体制に変化はなかった。なお日本発送電へ出資された名古屋火力発電所は同社では「名古屋東発電所」と称したが、坂発電所(広島県)へと設備が移設され廃止されている。
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