第一次高等学校令
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第一次高等学校令(明治27年勅令第75号)は1894年(明治27年)6月25日に公布され、同年9月11日に施行された。これにより、高等中学校ノ学科及其程度(明治19年7月1日文部省令第16号)、高等中学校医学部ノ学科及其程度(明治20年9月17日文部省令第9号)、高等中学校医学部附設薬学科ノ学科及其程度(明治22年3月22日文部省令第2号)、高等中学校法学部ノ学科及其程度(明治22年7月29日文部省令第5号)の各文部省令は失効した。 第一次高等学校令の主な目的は、中学校令に基づいて設立された高等中学校を高等学校に改組することであった。このときまでに設立されていた官立高等中学校には第一高等中学校(東京)、第二高等中学校(仙台)、第三高等中学校(大阪から京都に移転)、第四高等中学校(金沢)、第五高等中学校(熊本)、山口高等中学校、鹿児島高等中学造士館の7校があり、このうち第一から第五までの高等中学校が高等学校に改組された(1条)。さらに明治27年9月27日文部省告示第8号(山口高等中学校ヲ高等学校ニ改ム)により山口高等中学校も山口高等学校となったが、鹿児島高等中学造士館は明治29年勅令第298号により一旦廃校となった。なお(旧旧)山口高等学校は、明治38年勅令第40号(山口高等学校ヲ山口高等商業学校ト改称ス)により山口高等商業学校に改組された。 その後も明治33年勅令第84号により第六高等学校(岡山)、明治34年勅令第24号により第七高等学校造士館(鹿児島)、明治41年勅令第68号により第八高等学校(名古屋)が相次いで設立された(それぞれ一高、二高などと略称されナンバースクールと総称)。 令2条では「高等学校ハ専門学科ヲ教授スル所トス」とし、但し書きで「帝国大学ニ入学スル者ノ為メ予科ヲ設クルコトヲ得」と定めた。専門学科は法学部、工学部、医学部などがある。専門学科は4年制とされ、予科は3年制とされた。令の体裁では専門学科を主とし、予科を従とするように定められているものの実際には専門学科よりも予科が主体となった。専門学科は、後に旧制専門学校などとして発展する。
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