学校・教育改革とは? わかりやすく解説

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学校・教育改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 13:57 UTC 版)

井上毅」の記事における「学校・教育改革」の解説

明治26年1893年3月7日第2次伊藤内閣において文部大臣務める。任期結核さらなる悪化もあり翌27年1894年8月29日までの約1年半に過ぎなかったが、学制改革目標とし、小学校就学増加および実業教育盛り込み政策掲げ改善全力尽くした背景には欧米比較して日本の教育有用な人材育たない不満があり、資本主義発展に伴う実業多様化応じ小学から大学まで生徒自立心育み、かつ実業興味示し列強進出背景国際情勢緊張念頭に入れた愛国心浸透海外でも通用する人材育成出来るよう誘導する教育実現目指した。6月閣議提出した7ヶ条の改革案は、就学率の低い小学校改善を図るため敷居低くして国が補助金を出す、実業工業学校同様に補助金対象とする、高等中学校再編専門学校開設して大学進学以外の道も開くようにすることを明記井上はこの案に基づき改革邁進することになる。 文相としての姿勢対話重んじ在野教育学者招いてこれから教育論話し合い新聞文部省教育方針発表して意見募集呼びかけ直接学校乗り込み実地調査徹底的にりこんだりもしている。官民対話試みた案に6月12日制定教育高等会議があり、地方中央から民間教育者などを集め官僚共同学校問題話し合い文相諮問機関設定する対話政策発案した教育会計画井上任期実現しなかったが、明治29年1896年)の蜂須賀茂韶文相時に成立するまた、同年度の予算案小学校教育費国庫補助法を提出した却下され翌年度成立せず小学改革上手くいかず、大学でも教師陣反対介入控えた一方高校実業教育再編進み小学手を加えない代わりに未就学者対象基礎学問実学教育を軸とした、小学補完する教育機関の設立図り11月22日実業補習学校規程公布して、明治27年1894年6月12日実業教育国庫補助法が公布、後に実業補習学校設立されるきっかけ作った中学高校改編され、尋常中学校同月15日実習科目図画測量など)を加えた実科中学校として地方追加出来許可制設けた25日第一次高等学校令公布し高等中学校尋常中学校高等学校分離改編7月25日職業専門学校である徒弟学校規程公布したのを最後に8月29日辞任した井上のこれらの改革事案先取りし過ぎて直ち実現されなかったが、教育発展足掛かりとして後に設立学生大学以外に様々な分野進め多様性開いていった。 教育以外に閣僚一員として他の政治事件関与試み千島艦事件裁判におけるイギリス相手訴訟関わりたがったり、議会対策解散論を主張したが、いずれも伊藤に容れられず、思想のずれもあって伊藤から遠ざけられ教育界活動の他は消極的になり辞任至った政界から身を引いた後は逗子現在の神奈川県逗子市)の別荘療養努めたが、病気進行進み明治28年1895年3月17日51歳で死去亡くなる前の1月子爵位を授けられ2月漢学者岡松甕谷の子四郎長女富士子婿養子迎えた。墓は東京都台東区谷中瑞輪寺

※この「学校・教育改革」の解説は、「井上毅」の解説の一部です。
「学校・教育改革」を含む「井上毅」の記事については、「井上毅」の概要を参照ください。

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