教育機関の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 05:33 UTC 版)
東亜同文会は上海に東亜同文書院、東京に東京同文書院を設立した(前者は在華日本人留学生を教育し、後者は中国人留学生を受け入れる高等教育機関であった)。 東亜同文書院 東亜同文書院の45年の歴史は、初代院長・根津一によって始まり、以降杉浦重剛、大津麟平、近衛文麿(近衛篤麿の子息)、大内暢三、矢田七太郎、本間喜一ら計8代7人の院長が担った(詳細は当該項目を参照)。 東京同文書院 柏原文太郎(のち目白中学校第3代校長)を実質的な責任者として運営され、1898年から1918年まで存続した。 このほか、天津同文書院(のちの天津中日学院)・漢口同文書院(のちの江漢中学校)・東亜工業学院(「敵性資産」を引き継いだ、中国人学生のための高等教育機関)・華北高等工業学校(1943年設立)・北京興亜学院(1943年引継)を運営した。
※この「教育機関の設立」の解説は、「東亜同文会」の解説の一部です。
「教育機関の設立」を含む「東亜同文会」の記事については、「東亜同文会」の概要を参照ください。
- 教育機関の設立のページへのリンク