大阪・名古屋
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8. 大阪帝国大学(現在の大阪大学) 9. 名古屋帝国大学(現在の名古屋大学) 1923年に発生した関東大震災により、東京が壊滅的な打撃を受けた一方、関東およびその近郊からの移住者により、大阪市や名古屋市の人口は急増し、特に大阪市においては、首都機能こそなかったものの、当時の東京市の人口を抜いて日本最大の都市に躍進し、また当時世界各国の主要都市の中でも6番目の人口数となり、いわゆる大大阪時代を迎えていた(同記事および都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位も参照)。 両市のある府県では帝大設立運動が起きたが、昭和金融恐慌(1927年)、世界恐慌(1929年)のため帝大創設の政府予算は付かず、全額を地元が国庫に寄付するという形で両帝大は設立された。大阪帝国大学は大阪医科大学、名古屋帝国大学は名古屋医科大学を前身として設立されている。 1931年の満州事変以後、軍部の台頭によって財政は軍事費優先傾向が強くなり、また、両帝大の先例から、新たな帝大の設立には全額地元負担が必須となり、他地域での帝大新設は行われなかった。しかし、その他の高等教育機関の設立・改組などは行われた。
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大阪・名古屋
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戦前の国粋大衆党をルーツに持ち笹川良一が総裁を務める右翼団体の国粋同盟が、連合軍慰安所アメリカン倶楽部を1945年9月18日、大阪にに開業した。また、名古屋では国際高級享楽ナゴヤクラブが開設され、募集に680名の女性が殺到した。
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