学校教育のヒフミ唱法とは? わかりやすく解説

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学校教育のヒフミ唱法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:43 UTC 版)

音名・階名表記」の記事における「学校教育のヒフミ唱法」の解説

西洋式の「ドレミ唱法」が普及するまでのつなぎとして、明治11年から明治30年代の末まで学校教育使われ和風階名である。 明治8年1875年)、伊沢修二アメリカ渡って師範学校留学し翌年ルーサー・ホワイティング・メーソンから直接ドレミ唱法」のレッスン受けた伊沢は、DO RE MI FA SOL LA SIという当時日本人の生活と何のつながりもない階名が、日本人にはなじまないであろうことに気付いた伊沢メーソン相談した結果日本語で12345678を表す「ヒーフーミーヨーイームーナーヤー」を日本語階名転用することを決意した明治11年帰国した伊沢は、文部省に「唱歌取調書」という報告書提出しその中でヒフミ唱法」を提唱した以後日本の学校教育では、明治30年代まで「ヒフミ唱法」が採用された。一方音楽専門家養成するための東京音楽学校では、明治28年1895年)、当時助教授だった小山作之助提案により、「ヒフミ唱法」を廃止して西洋式の「ドレミ唱法」を採用した明治40年代以降は、小学校などの初等教育でも「ドレミ唱法」に置き換わった。当時の「ドレミ唱法」は「移動ド唱法であったヒフミ唱法名残は、「ヨナ抜き音階」などの語に見られる。また坪井栄の小説二十四の瞳中にて、昭和初期音楽教育における世代ギャップ描かれており、明治期音楽教育受けてヒフミ唱法しかできない男性教師が、ドレミ唱法なじんだ生徒たち笑われる場面がある。

※この「学校教育のヒフミ唱法」の解説は、「音名・階名表記」の解説の一部です。
「学校教育のヒフミ唱法」を含む「音名・階名表記」の記事については、「音名・階名表記」の概要を参照ください。

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