学校教育の訓読法
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現在の学校の教科書で見られる漢文訓読法が確立したのは意外に新しく、明治の末年である。 江戸時代までは、各藩の藩校や漢学者の学統ごとに、異なる風格やスタイルの漢文訓読が行われていた。 明治時代、近代的な学校制度の整備が進み、全国一律の漢文教育が行われるようになると、文部省は、服部宇之吉をはじめとする当時の学者に依頼して、教科書用の漢文訓読法の整理統一を進めた。その結果は、明治45年(1912年)に「漢文教授ニ関スル調査報告」(『官報』第8630号、明治45年3月29日)として発表された。その後、今日に至るまで、これに替わる公的な指針を政府は示していない。2021年現在でも、文部省の検定教科書に掲載する漢文や、大学の入学試験に出題される漢文については、「漢文教授ニ関スル調査報告」が示す漢文訓読法の基準に依拠している。
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