第三高等中学校寄宿舎の竣工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:25 UTC 版)
「京都大学吉田寮」の記事における「第三高等中学校寄宿舎の竣工」の解説
1886年、文部省は大阪にあった第三高等中学校を京都府下愛宕郡吉田村に移転することを決定した。翌1887年、文部省の技師の山口半六と久留正道が同地域で測量調査を行い、第三高等中学校の工事が始まった。1889年7月、山口半六と久留正道の設計と山本治兵衛の現場管理の下、第三高等中学校寄宿舎と付設の食堂、便所、厨房、浴室等が次々と竣工した。なお、付設の食堂とは吉田寮食堂のことである。第三高等中学校寄宿舎は現在の吉田キャンパス本部構内、附属図書館の北東付近にあり、百万遍智恩寺と土手を隔てて隣接していた。傾斜のある瓦ぶき屋根のある木造建築で、外からは2階建てに見えたが、実際は広い屋根裏部屋があり3階建てだった。中廊下を挟んで、1階に自修室(自習室)が15室、2階に寝室が16室あり、4 - 5人の相部屋だった。 1894年(明治27年)6月23日、第一次高等学校令に基づき第三高等中学校は第三高等学校(旧制三高)に改組された。第三高等中学校は廃止され、旧制三高は(高等中学校に匹敵する)大学予科を持たなかったため、学生の大半は京都を去った。これに伴って、第三高等中学校寄宿舎の建物は旧制三高寄宿舎に引き継がれた。
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