第三高等学校理科へとは? わかりやすく解説

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第三高等学校理科へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「第三高等学校理科へ」の解説

1919年大正8年3月、基次郎成績中位席次115番51番)で大阪府立北野中学校現・大阪府北野高等学校)を卒業。兄も住友電線製造所現・住電気工業)に4月から入社決まった。基次郎も兄と同じ電気エンジニアをめざし、第一志望として兄が卒業した大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部電気科受験するが、不合格となったこの頃、父の友人池田鹿三郎の弟・竹三郎の娘(大阪信愛高等女学校4年生美少女池田艶)への恋が募り初め会ったのは艶が小学校5年、基次郎中学2年の時)、彼女への想い友人らに書き送ったり、兄の同級橋田打ち明けたりした。この頃手紙中に夏目漱石失恋英詩写し書きしたりした。 場所も遠く学費のかかる第三高等学校(現・京都大学総合人間学部)への受験を母に懇願し承諾得た次郎は、猛勉強に励むと同時にますます漱石傾倒し、兄が買ってきた再版漱石全集を手にとり『明暗』を夢中で読んでいた。5月出した友人の手紙には、漱石の『三四郎』影響から〈Strey sheep〉と署名し6月には〈梶井漱石〉と署名した7月、基次郎南禅寺僧庵泊って試験挑み第三高等学校理科甲類(英語必修)に無事合格中学同級宇賀康、中出丑三、1年上の矢野繁も一緒に合格し畠田敏夫は神戸高等商業学校現・神大学経済学部)に進んだ同月末から8月、兄と富士山登山をし、底倉温泉の「つたや」に1泊した9月、『大阪毎日新聞夕刊連載中菊池寛の「友と友の間」を愛読通学のため京都府上京区二条川東大文字町160番(現・左京区二条川端東入ル上ル)の中村金七(祖母・スヱの親類遠縁にあたる人物方に下宿した入学式の後、丸太町通古書店歩いた

※この「第三高等学校理科へ」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「第三高等学校理科へ」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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