第三高等中学校設立と京都への移転
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「第三高等学校 (旧制)」の記事における「第三高等中学校設立と京都への移転」の解説
1886年(明治19年)4月29日、大学分校は中学校令に基づく第三高等中学校(校長:中島永元)となった。同年11月に学区が定められて、近畿・中国・四国にまたがる第三区が設定され、高等中学校を京都に設置することと定められた。これにより京都移転が決定する。1887年(明治20年)4月に折田彦市が校長に復帰。第三高等中学校には1887年に本科が置かれた。また、文部省の告示により高等中学校に医学部を置くこととなったことから、岡山市の岡山県医学校を第三高等中学校に編入して医学部とし、1888年(明治21年)4月に開部式が行われた。 1889年(明治22年)9月、大阪市東区(現:中央区)から京都市上京区(現:左京区)吉田に移転が完了し、開業式が行われた。現在の京都大学吉田キャンパスの本部構内に当たる。1890年(明治23年)には法学部を設置した。
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