伝承にみる古代の酒造り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:33 UTC 版)
羽衣天女と豊受大神 丹後地方における酒造りの歴史は、『丹後国風土記逸文』にみえる羽衣伝説にはじまる。8人の天女が丹後国丹波郡比治里の比治山の山頂にある真奈井で沐浴中に、老夫婦が1人分の天女の衣を隠してしまう。衣を無くし、天に戻れなくなった天女はやむを得ず老夫婦の養女となり、そのもとで酒造りに従事する。 この酒は口噛み酒で、「一杯飲めば吉く万の病除ゆ」と伝えられる。天女が造った酒を売って富豪となった老夫婦はやがて天女を家から追放する。天に還る手段も無くし、地上に頼る人もいない天女は困り果てて丹波郡内を放浪し、竹野郡舟木里奈具村(現在の京丹後市弥栄町)で温かく迎えられる。安住の地をみつけた天女は村に留まり、奈具社の豊宇賀能売命となった。豊受大神ともよばれ、五穀豊穣をうみ、美酒を醸む神として、やがて丹後地方全域で広く祀られることとなる女神である。 その数は竹野郡だけで14社に及び、なかでも峰山町丹波の多久神社、荒山の波弥神社、内記の名木神社では、明治期以前には「天酒大明神」と呼ばれ、「天酒さん」と親しまれた。 この比治山天女伝説に基づいた豊受大神信仰は、天女が老夫婦に放逐され、奈具に辿り着くまでに放浪した地を中心に竹野川流域に拡がり、竹野川は別名を「天酒川(あまさかがわ)」とも称された。 豊受大神は平安時代の初期、雄略天皇22年9月に伊勢に迎えられ、伊勢神宮外宮となっている。 徐福伝説 伊根町新井崎に伝わる伝承では、秦の皇帝から不老長寿の妙薬を求められた徐福にまつわる逸話のなかに、クコ酒が登場する。徐福伝説は全国にあるが、新井崎ではクコの木の実、九節の菖蒲、黒茎のヨモギが徐福の探し求めた妙薬であると伝え、とくにクコの実から酒を造った。米の酒よりも古い時代の酒造りが行われていたことを伝えるものと考えられる。 このほか、丹後地方の酒は、近世初頭に成立したとみられる『御伽草子』に登場する「酒呑童子伝説」や、南北朝時代に成立した絵巻物『慕帰絵詞』や『浦島明神縁起』にも描かれている。
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