武田氏へ臣従
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 01:04 UTC 版)
武田氏臣従した後は、信濃先方衆として軍役を務め、村上義清方の望月氏の調略などを行っている。天文19年(1550年)7月には小県郡諏訪に知行を約束されており、同年9月の戸石城(砥石城)攻めは真田幸綱の要請にもよるものと言われている[要出典]。戸石城攻めで幸綱は村上方の清野氏や寺尾氏などを調略するが、戸石崩れ(砥石崩れ)と呼ばれる大敗で一時は失敗する。 天文20年(1551年)に再び戸石城攻めが行われ、『高白斎記』に拠れば真田幸綱の調略で同年5月26日に城はわずか1日で攻略されたという。
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