武田氏居館跡から出土した馬の全身骨格
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「躑躅ヶ崎館」の記事における「武田氏居館跡から出土した馬の全身骨格」の解説
武田氏居館跡の第三十一次調査において一体の馬の全身骨格が出土した。 この馬骨は西曲輪南側の枡形虎口に伴う馬出空間の地下2メートル地点から出土し、頭部を北側に向け、一部は破損・変形している。筵に覆われていたと見られることから、埋葬された遺体であると考えられている。推定年齢12歳の雄で、体高は約116センチメートルから126センチメートルの小型馬。肉付きは他の中世馬の出土事例や在来馬と比較した四肢骨の細さから、あまり屈強な体格ではないと考えられている。 また、この個体は小型馬であることから駄馬であるとする説もあるが、激しく使役された痕跡も見られず、古病理学的な観点からは、重量物の運搬により生じる中手骨・中足骨の癒合や骨瘤形成が見られないこと、下顎第二臼歯にハミ痕が見られることから、乗用馬であると考えられている。 馬骨の出土した馬出空間は武田氏の滅亡後の形式で、推定年代は近世初頭に下る可能性も考えられているが、山梨県内において中世馬の出土事例は主に平安・鎌倉期のもので、戦国期に遡る可能性のある事例として注目されている。 甲府市教育委員会には復元した全身骨格が所蔵されている。
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