武田氏・後北条氏への離反とは? わかりやすく解説

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武田氏・後北条氏への離反

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 13:56 UTC 版)

小幡憲重」の記事における「武田氏・後北条氏への離反」の解説

小幡氏主君である山内上杉氏相模国後北条氏との抗争衰退する長野氏との関係が悪化し、さらに一族内紛勃発するこのような状況下で憲重は天文17年1548年10月山内上杉氏から離反し同年12月には上杉憲政拠点平井城攻撃している。この頃から武田氏後北条氏通じていたようであり、同18年もしくは19年には同族である小幡三河守武田氏への従属仲介している。同19年1550年)には後北条氏通じそれに伴い北条軍平井城攻撃した。同21年1552年3月北条軍侵攻により上杉憲政本拠平井城上野から没落し越後長尾氏を頼ると、憲重は後北条氏武田氏に両属す立場となった。翌22年1553年9月には「小幡父子」が信濃塩田城に在陣する武田晴信信玄)に出仕しており、これが憲重と嫡子信実のことを指すと考えられている(『高白斎記』)。

※この「武田氏・後北条氏への離反」の解説は、「小幡憲重」の解説の一部です。
「武田氏・後北条氏への離反」を含む「小幡憲重」の記事については、「小幡憲重」の概要を参照ください。

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