後北条氏との抗争とは? わかりやすく解説

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後北条氏との抗争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:36 UTC 版)

里見義堯」の記事における「後北条氏との抗争」の解説

氏綱の軍を借りてクーデター成功した義堯だが、真里谷信清死去して真里谷氏で家督をめぐる抗争が起こると、義堯真里谷信応を、氏綱は真里谷信隆支持したため、氏綱と敵対関係になる。しかし義堯関東勢力拡大していた氏綱に単独挑むことは難しいと考え小弓公方足利義明同盟結んで対抗した。そして天文6年1537年)に真里谷信隆攻めて降伏させた。しかし天文7年1538年)の第一次国府台合戦義堯戦闘には参加したが、大将足利義明であったこともあって、里見軍の主力はあまり積極的に戦わなかったらしく、結果として義明の戦死は、義堯にとって関東中央部への飛躍機会となったといえる。 義明の死後義堯味方側であった下総上総積極的に進出し上総久留里城本拠として里見氏最盛期築き上げた天文19年1550年9月5日11月7日足利義輝の命を受けて里見氏北条氏との仲介労を取るために関東下向した彦部雅楽頭取り成し満足したの手紙を送っている。 天文21年1552年)に北条氏康策動によって、里見氏傘下国人領主離反発生し天文23年1554年)には氏康と今川義元武田信玄との間で三国同盟締結された。こうした中で、氏康は天文22年4月より北条綱成北条氏堯派遣して毎年のように房総半島侵攻して、沿岸金谷城佐貫城攻略したこのため弘治元年1555年)には上総西部のほとんどが後北条氏奪われることになった。この事態に対して義堯北条方についた国人勢力抵抗鎮圧し奪われ領土奪還図りつつ、越後の上謙信手を結び太田氏佐竹氏宇都宮氏等と同調して、あくまで氏康に対抗する姿勢見せた弘治2年1556年)には里見水軍率いて北条水軍戦い勝利している(三浦三崎の戦い)。ただし、北条水軍暴風雨のため沈没したり沖に流されたりしたことが勝因といわれているため、完全な勝利では無かったようである。 永禄3年1560年)、氏康が里見領に侵攻して来ると、義堯久留里城に籠もって抗戦し上杉軍援軍得て勝利し反攻開始して上総西部のほとんどを取り戻した永禄5年1562年)、剃髪して入道し、家督を子の義弘譲って隠居するが、なおも実権握り続けている。 永禄7年1564年)、北条方の太田康資内通に応じて義堯義弘と共に敵対する千葉氏重臣高城胤吉勢力圏にあった下総の国府台に侵攻し北条軍迎え撃った緒戦では北条方の遠山綱景富永直勝討ち取るものの、油断をした里見軍は、翌明け方、氏康の奇襲北条綱成との挟撃を受け、重臣正木信茂討死するなどの敗戦喫した第二次国府台合戦)。この敗戦により義堯義弘父子上総大半失い安房退却し里見氏勢力一時的に衰退することとなる。しかし、その後義弘中心として里見氏安房で力を養い徐々に上総南部奪回し永禄9年1566年)末頃までには久留里城佐貫城などの失地回復していた。これに対し上総北部勢力線維持していた後北条氏は、佐貫城北方位置する三船山(現三舟山)の山麓広がる三船台に砦を築き対抗した永禄10年1567年8月義弘率い里見軍は三船台に陣取る北条軍攻囲した。これを知った北条氏康嫡男氏政と太田氏資らを援軍として向かわせ、別働隊として3男氏照と原胤貞義堯詰め久留里城攻撃へと向かわせた。これに対して義堯守り堅固にし、義弘正木憲時と共に佐貫城出撃して、三船台に集結した氏政の本軍攻撃して討ち破った。この時、北条軍の殿を務めた太田氏資戦死する三船山合戦)。また、水軍指揮取り浦賀水道確保当たっていた北条綱成三浦口より安房侵入しよう試みたが、里見水軍菊名浦の沖合い交戦して損害出している。これらの情勢により水陸から挟撃される危険を察知した北条軍は、全軍上総から撤退することとなった。 この三船山での勝利により里見氏上総支配に関して優位に展開し下総にまで進出するようになったその後北条氏に対して徹底抗戦姿勢貫かれるが、義堯天正2年1574年)、久留里城にて死去享年68義堯死後の天正3年1575年)頃になると、上杉氏武田氏房総への影響退けた北条氏侵攻による圧迫を再び受けはじめ、天正5年1577年)に義弘と氏政との間で和睦成立することになる(房相一和)。

※この「後北条氏との抗争」の解説は、「里見義堯」の解説の一部です。
「後北条氏との抗争」を含む「里見義堯」の記事については、「里見義堯」の概要を参照ください。

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