出自・武田氏配下以前の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 14:11 UTC 版)
「和田業繁」の記事における「出自・武田氏配下以前の動向」の解説
和田氏は山内上杉氏配下の国衆であり、伯父かつ義父である長野業正率いる箕輪長野氏の同心であった。父は天文15年(1546年)7月に戦死し、その後家督を継いだとみられる。当初は関東管領・上杉憲政に仕えていたが、同21年(1552年)3月に憲政が後北条氏との抗争で越後国に逃亡した後は長野業正と共に北条氏康に従った。永禄3年(1560年)8月に憲政を擁した長尾景虎(上杉謙信)が関東侵攻を開始すると箕輪長野氏と共に上杉方に従い、『関東幕注文』では箕輪衆の一員として「和田八郎」の名前で存在が確認できる。この際に上杉氏に弟を人質として提出している。その後の翌4年(1561年)11月に武田氏は西上野侵攻を行い、業繁は翌5年(1562年)5月までに武田氏に従属している。
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