箕輪長野氏とは? わかりやすく解説

箕輪長野氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 15:13 UTC 版)

上野長野氏」の記事における「箕輪長野氏」の解説

箕輪城となった長野氏は、憲業のとき西上野方面へ本格的に進出し彼の次男・業正(業政)のときに強大となった。業正は長尾氏家督継承介入するなど山内上杉氏家中台頭し河越夜戦大敗した関東管領上杉憲政北条氏康敗れて上野国追われた後も、箕輪衆を取りまとめて、婚姻政策などにより西上野の支配圏をなおも維持した。 しかし山内上杉氏忠誠誓っていたのは後世のイメージであり、史実とは異なる。同時代史料によれば河越夜戦ののち後北条軍が武蔵国最前線武蔵御嶽城落城させると、長野氏安中氏などとともに後北条方へと離反した。これにより山内上杉氏動揺し憲政直属である馬廻衆の裏切りとそれに起因する憲政平井城退去招いている。その後後北条氏上野支配したが、永禄3年1560年)に上杉謙信憲政奉じて上野進攻すると、箕輪長野氏は同盟状態であった総社長尾氏白井長尾氏真っ先謙信内応した。以後越後上杉氏勢力下を維持している。 永禄4年1561年)に業正は死去し、同永禄4年1561年)には甲斐国武田氏西上野侵攻行い西上野において越後上杉氏対立する武田氏小幡氏安中氏後閑氏などの西上国衆勢力下に置いて箕輪城孤立化図り、業正の子の氏業は永禄9年1566年)に敗れて自害、箕輪長野氏は滅亡西上野は武田領国化される

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