上杉氏配下時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 13:59 UTC 版)
戦国時代には城主の倉賀野行政が関東管領の上杉憲政に仕えたが、天文15年(1546年)の河越夜戦で戦死した。その後、上杉憲政が長尾景虎(上杉謙信)を頼り越後に落ち延びたため、倉賀野城は倉賀野尚行が城主となり、金井秀景や須賀佐渡、福田加賀守、富田伊勢守、須田大隈守、田沼庄衛門をはじめとする倉賀野十六騎と城を守った。 永禄年間に後北条氏が上野を領国化したが、このとき、上杉憲政の旧居城・平井城ではなく、倉賀野城が後北条氏の領国経営の中心になっていたとみられる。しかし上杉謙信が永禄3年に越山してくると、倉賀野氏はすぐに箕輪長野氏と上杉に従っており、倉賀野城も上杉方となった(『新編高崎市史』)。倉賀野城は上杉方の長野氏が拠る箕輪城の支城としての役割を果たしていた。
※この「上杉氏配下時代」の解説は、「倉賀野城」の解説の一部です。
「上杉氏配下時代」を含む「倉賀野城」の記事については、「倉賀野城」の概要を参照ください。
- 上杉氏配下時代のページへのリンク