後世のイメージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 23:42 UTC 版)
20~21世紀の歴史学者の朝尾直弘は、士と農工商の間に大きな身分的格差があって、農工商の三つについてはほぼ同列であり、これを平民あるいは平人として一括しその下にいわゆる「穢多・非人」と呼ばれた階層があったとしている。また、大きな線、区別は士と農工商、農工商とその下の「穢多・非人」との間にあった、との見解を示している。 1990年代ごろからは、こうした士農工商像を批判的に検証し、同時代の一次史料に基づく実証的な研究によって、新たな江戸時代の身分制度像が提示されるようになり[誰によって?]、田中圭一は、「本来、士・農・工・商は職分であり、そのような職分を身分制度として説明すること自体がばかげているのであるが、書物はいまもそれを変えることをしない」と述べている。 近年の研究結果が反映された歴史教科書では「士農工商」ではなく「武士・百姓・町人」の呼称が用いられ、武士が支配層として上位に位置する点は従来同様だが百姓と町人には身分の上下関係がなかった事が記述されている[要出典]。穢多・非人については、従来は一般民衆と比べて「下」や「最底辺」の存在とされていたものが、現在では一般民衆とは別個の存在として扱われ社会的差別を受けたと記述されている。東京書籍の中学校歴史教科書では、支配身分の武士が名字・帯刀の特権を持ち、百姓や町人は税金を納め一部の地主は行政にも参加出来たが、えた・ひにんに対しては住居・職業・服装・交際などに厳しい差別的制限が課されたと記述されている。大阪書籍の中学校歴史教科書では、武士は際立って高い身分であり、えた・ひにんの中には罪人の処刑や芸能者として活躍する者がいたものの、百姓・町人からは疎外され居住地や交際関係や服装で厳しい制限を受け、それぞれの身分は原則として親子代々受け継がれたと記述されている。
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