室町期、箕輪長野氏への従属
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:09 UTC 版)
「大戸浦野氏」の記事における「室町期、箕輪長野氏への従属」の解説
大戸浦野氏が史料上に登場するのは永正6年(1509年)9月であり、連歌師の柴屋軒宗長が大戸の浦野三河守の元を訪れている。同10年(1513年)4月に箕輪・室田を拠点とする長野憲業に大戸城を攻められ、以後大戸浦野氏は長野氏に政治・軍事的に従属したとされる。 大戸浦野氏は箕輪長野氏の同心に編成され、長野氏の元で関東管領・山内上杉氏、後北条氏に仕えた。永禄3年(1560年)の長尾景虎(上杉謙信)による関東侵攻でも寄親である長野業政に同調し、『関東幕注文』にも「箕輪衆」の一員として「大戸中務少輔」の名前が確認できる。
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