武田氏滅亡以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:09 UTC 版)
「長沼城 (信濃国)」の記事における「武田氏滅亡以降」の解説
天正10年(1582年)3月、織田家の甲州征伐によって、武田氏が滅び、織田家臣の森長可が海津城に入り、その支配下の城となった。同年6月には織田信長が本能寺の変で倒れると、武田遺領を巡る天正壬午の乱となって、芋川氏など土豪一揆に攻撃されて撤退し越後から侵攻した上杉景勝の支配する城となり、天正10年(1582年)、島津忠直 (信濃島津氏)が入城した。
※この「武田氏滅亡以降」の解説は、「長沼城 (信濃国)」の解説の一部です。
「武田氏滅亡以降」を含む「長沼城 (信濃国)」の記事については、「長沼城 (信濃国)」の概要を参照ください。
- 武田氏滅亡以降のページへのリンク