武田氏研究
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甲斐武田氏では近世に軍記物である『甲陽軍鑑』が成立し、武田信玄の存在を中心に広く知名度があり、江戸時代から近代にかけて地元においても郷土の象徴的人物と位置づけられていった。明治期には郷土史家により信玄を勤皇家や郷土の英雄として信玄像を位置づけることを目的とする研究や、戦史中心の研究が行われていた。また、大正・昭和初期には県内の実業家や名望家を中心に郷土研究が流行し、『甲斐史料集成』や『甲斐叢書』などの史料刊行も行われ、山梨郷土研究会も発足し実証的研究がスタートした。 戦後には昭和30年代から研究が活発化し、奥野高広や磯貝正義、上野晴朗らがそれぞれ実証的信玄評伝を発表した。資料的制約から研究は信玄・勝頼期が中心となっているが、前代の信虎期や後代の勝頼期へも視点が向けられ、三代期以前においても『吾妻鏡』の史料批判による鎌倉時代の甲斐源氏や武田氏に関する研究や、上杉禅秀の乱を契機とする甲斐国の動向に着目した南北朝・室町期の研究も行われている。 戦後には武田氏関係文書の新発見や文書編纂も進み(後述)、『軍鑑』や近世の総合地誌である『甲斐国志』など史料刊行も行われ、『勝山記』など新史料も発見された。1987年(昭和62年)には武田氏研究会が発足し現在に至るまで武田氏研究の中心的存在となっている。一方、考古学の分野では山梨県埋蔵文化財センターや県内外の市町村教育委員会などによる発掘調査が進展し、武田氏館跡や勝沼氏館跡など武田氏に関係する考古遺跡における発掘や、中世考古学の進捗により発見が相次ぎ、史跡整備も進んでいる。また、2005年(平成17年)には山梨県立博物館が開館し、武田氏に関する資料の収集や調査研究、展示活動を行っている。 現在では社会経済史的視点からの研究や戦国大名武田氏の権力構造の解明、家臣団の個別研究のほか、財政や治水事業、軍事や外交、交通や都市問題、商職人支配や郷村支配、宗教、美術など細分化した分野における実証的研究や民俗学的アプローチなど研究の地平が広っている。一方で、網野善彦はこうした武田氏や甲斐源氏中心の研究に対して甲斐中世史において他氏族の果たした役割を強調し、武田氏以外の氏族研究の必要性を主張している。
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