武田氏配下時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 13:59 UTC 版)
永禄4年(1561年)に甲斐国の武田信玄による西上野侵攻で競られ、金井秀景らが武田氏に与するなど内部分裂もあり、永禄8年(1565年)に落城した。倉賀野尚行も上杉謙信を頼って越後に逃れた。 元亀元年(1570年)、武田氏に従っていた金井秀景が城主となり、以降は姓を改め倉賀野秀景と名乗った。 天正10年(1582年)、武田氏が滅亡すると、倉賀野秀景は滝川一益に従ったが、本能寺の変の後は北条氏直に仕えた。
※この「武田氏配下時代」の解説は、「倉賀野城」の解説の一部です。
「武田氏配下時代」を含む「倉賀野城」の記事については、「倉賀野城」の概要を参照ください。
- 武田氏配下時代のページへのリンク