武田水軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 22:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動武田水軍(たけだすいぐん)は、戦国大名の甲斐武田家に属していた水軍。『甲陽軍鑑』においては「武田海賊衆」と呼ばれている。
歴史
武田信玄が永禄11年(1568年)に駿河侵攻を決行して今川氏真を駿河国から駆逐したことで、内陸の甲斐国を本拠としていた武田家の領地は海(駿河湾)にも接した。その際、信玄は今川氏配下にあった駿河水軍を接収して武田水軍に再編した。武田水軍は主に北条家に対抗すべく、駿河湾に面した地域を拠点に活動し、北条水軍と駿河湾で幾度も海戦を繰り広げた。元亀2年(1571年)には九鬼嘉隆に敗れた北畠家の伊勢水軍[1]も編入し、巨大な安宅船1艘を核とする52艘の艦隊からなった。
天正10年(1582年)の武田家滅亡後、武田水軍は本多重次の仲介で徳川家康に従い徳川水軍となり、やがて江戸幕府の水軍へ改組した。
主要な人物
脚注
- ^ 伊勢水軍 世界大百科事典 第2版 - コトバンク、2020年2月7日閲覧。
参考文献
- 泉秀樹『この20人は、何故すごいのか:乱世を生き抜く「考え方・戦い方」』PHP研究所, 2013/2/15。
関連項目
武田水軍
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詳細は「武田水軍」を参照 永禄11年(1568年)に間宮武兵衛(船10艘)、間宮信高(船5艘)、小浜景隆(安宅船1艘、小舟15艘)、向井正綱(船5艘)、伊丹康直(船5艘)、土屋貞綱(船12艘、同心50騎)などを登用して、武田水軍を創設している。
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