向井正重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 16:01 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 永正16年(1519年) |
死没 | 天正7年9月19日(1579年10月19日) |
別名 | 伊賀守 |
主君 | 武田信玄、勝頼 |
氏族 | 仁木氏族向井氏 |
父母 | 忠綱 |
子 | 政勝、正綱 |
向井 正重(むかい まさしげ)は、戦国時代の武将。武田氏に仕えた。
生涯
父忠綱は伊勢国の人。甲斐国の戦国大名武田信玄・勝頼の2代に仕える。天正5年(1577年)北条軍は蒲原を侵し江尻に達した。この時興国寺城におり、江尻に妻子のあった城将らが出撃を望んだが、正重はこれを退けて固く城を守り北条軍を撃退した。天正7年(1579年)持船城にあった時、徳川家康配下の牧野康成が攻め寄せ、嫡男政勝らとともに討死した。
出典
- 『寛政重修諸家譜』巻第103
向井正重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:44 UTC 版)
正綱の父。武田信玄の水軍を束ねる海賊奉行、岡部忠兵衛の招きに応じて伊勢国から移り住んだ。正綱と違い、常に歯を食いしばり、感情を押し殺した厳しい姿勢を崩さずにいる。そのため、感情がすぐ顔に出る正綱には常に鉄拳を奮っているが、一向に治らないことに失望している。持船城落城時に致命傷を受け、その首を久兵衛に託して息を引き取る。
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