向井一族と家臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:44 UTC 版)
向井正綱 通称は「兵庫介」。持船城城主・向井正重の息子。5尺8寸(176センチメートル)と当時としては大柄で、武芸の腕前も良い。中でも鉄砲の腕前は一流で、海に浮かべた徳利に刺した的目掛けての射撃訓練を日課としている。操船術もまた巧みで、風の流れを肌で感じ取って方角を知る特殊な方法感覚の持ち主でもある。それでいながら、愚鈍と思われるほど率直な性格であり、感情がすぐ顔や仕草に現れるので正重を始め、多くの者を苛つかせている。後に人生の師とも言うべき本多重次との邂逅を経て、天下人にも動じない大器へと成長していく。 向井正重 正綱の父。武田信玄の水軍を束ねる海賊奉行、岡部忠兵衛の招きに応じて伊勢国から移り住んだ。正綱と違い、常に歯を食いしばり、感情を押し殺した厳しい姿勢を崩さずにいる。そのため、感情がすぐ顔に出る正綱には常に鉄拳を奮っているが、一向に治らないことに失望している。持船城落城時に致命傷を受け、その首を久兵衛に託して息を引き取る。 向井正勝 正綱の義兄。駿河の豪族・長谷川長久の息子で正重の養子となる。常に柔和な笑みを絶やさぬ温厚な男ながら、戦となれば鬼のような苛烈さを見せる猛将である。正綱は敬愛しつつも、父の強面よりも怖い笑顔だと評した。持船城が攻められた際、正綱不在に怒る正重に向井の血が残る怪我の功名だと諭した。最後は勇戦の果てに全身に槍を受けて討死する。 久 長谷川長久の娘で正勝の妹。出陣前での宴で酔い潰れた正綱を介抱したのが縁で、正綱と結婚する。 向井忠勝 通称は「忠太郎」。正綱と久との子。幼少ながら正綱に船乗りとしての修行を積まされ、小田原攻めに際して9歳で早い元服を行い参陣する。夜でも正確な視力の持ち主。後に徳川の世になると、父親に代わって奉行職をこなす実務家となっていく。 野尻久兵衛 通称は禿頭から「海坊主」。身長7尺(約2メートル)、体重50貫(約190キログラム)の巨漢で、船上では10人力の活躍をするが、陸上の戦いでは乗れる馬がなく、走るのが苦手ゆえに不得意としている。かつて倭寇として明水軍と戦ったこともあり、明船に据え付けられた衝角を改良し、自らの戦法に取り入れている。持船城落城の際、正重の首を託されると武器も鎧も脱ぎ捨てて悠然と城を退去。その後は正綱の家臣として活躍する。 弥助 正重の代から向井家に仕える水夫。釣りから操船術まで、海のことを知り尽くした熟練の船乗りで、中でも大砲の名手である。 三好軍兵衛 三好一族の末裔を自称する、大きな図体に妊婦のように腹が突き出た60過ぎの老いた「いくさ人」。久兵衛は伊勢長島のワタリ(水運業者)ではないかと睨んでいる。久兵衛の徴兵に、海のいくさ人として最後の死に場所を求めて参集した。
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