出自の伝承と歴史概要とは? わかりやすく解説

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出自の伝承と歴史概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 23:43 UTC 版)

安保氏」の記事における「出自の伝承と歴史概要」の解説

秩父綱房(元、丹綱房、のちの新里恒房)の次男である安保実光氏祖であり、本貫地武蔵国賀美郡安保郷で、現在の埼玉県神川町大字元阿保上宿居館構えた菩提寺安保吉祥院真光寺で、氏祖実光建立伝えられる実光は、一ノ谷の戦い初め奥州合戦にも参戦した武将だが、承久の乱の時、宇治川にて討ち死したその後阿保氏惣領家鎌倉幕府崩壊にともない北条氏と共に滅んだ惣領家滅んだ後、足利尊氏先陣勲功のあった分家筋である安保光泰阿保氏6代目)が旧領与えられ惣領家後を継ぐ事となる。光泰の子である直実阿保氏7代目)は不孝者とされた為、惣領家所領得られず、光泰の後は泰規が継ぐ事となった。直実は幸春院(道雲寺)を1320年14世紀初め)に建立している。一方、泰規は大恩寺安保氏館跡南西部寺跡がある)を建立したが、近世になると廃寺となった。泰規以後南北朝の動乱もあり、所領没収還付繰り返す事となる(延元2年安保合戦経験したものと見られる)。丹党南朝属していたが、安保氏足利氏北朝属して戦った為、他の氏族違い所領永く維持する事に成功している(早く丹党から独立した氏族と言える)。戦国期では、初め上杉氏であったが、最終的に後北条氏方に属し従えている。戦国期安保氏在地土豪家臣団として編成し、小大名的な存在にまでなっていたが、永禄12年1569年)、武田信玄御嶽城攻略最後に姿を消す事となる。

※この「出自の伝承と歴史概要」の解説は、「安保氏」の解説の一部です。
「出自の伝承と歴史概要」を含む「安保氏」の記事については、「安保氏」の概要を参照ください。

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