シックルグルーバー家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
「アドルフ・ヒトラー」の記事における「シックルグルーバー家」の解説
マリア・シックルグルーバーの生涯と出産、そしてアロイスの改姓や母方の一族を避けるという謎の多い行動は「何かを隠している」として噂の対象となった。父アロイスが10歳の時に祖母マリアは亡くなったが、彼女の出産経緯は息子のアロイスだけでなく、孫のヒトラーにも「出自の謎」として付いて回る事になる。顧問弁護士であり、ポーランド総督でもあったハンス・フランクは、1930年に異母兄アロイス2世の子である甥のウィリアム・パトリック・ヒトラーから「ヒトラーがユダヤ人の私生児であるという話に新聞が興味を持っている」と脅しをかけられた事にヒトラーが動揺し、家系調査を行わせていたと証言している。 フランクの調査結果は「マリアはグラーツのユダヤ人資産家、フランケンベルガー家に奉公に出ていた時期にアロイスを産んでおり、子息レオポルト・フランケンベルガー(ドイツ語版)から14年間養育費を受け取っていた」として、アロイスの父親がレオポルトであると見られるというものであった。フランクの「フランケンベルガー実父説」は1950年代まで広く信じられていたが、次第に史学上の根拠に欠けると指摘されるようになった。またフランクは「ヒトラーは由緒正しいアーリア系である」と矛盾する証言もしている。 1932年にはオーストリアの首相エンゲルベルト・ドルフースがヒトラーの家系を調査させ、「ハイル・シックルグルーバー」という記事を載せた新聞を配布し、攻撃材料としたこともある。またニコラウス・フォン・プレラドヴィッチ(ドイツ語版)はアロイス出生時のグラーツでユダヤ系住民がすでに追放されていたことからこの説を否定し、1998年には歴史学者でヒトラー研究の第一人者であるイアン・カーショーも「政治的な攻撃材料以外のものではない」と結論している。 2010年には、ヒトラーの近親者から採取したDNAを分析した結果、西ヨーロッパ系には珍しく、北アフリカのベルベル人やソマリア人、ユダヤ人に一般的に見られる形の染色体があるという調査結果が発表されたと報道されたが、当の記事が報じた研究者からこの報道内容に疑義が呈されている。むしろこの研究の結果、父アロイスがヒトラー家の血を引いていることが確実となった。
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