斯波義達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/19 07:19 UTC 版)
斯波 義達(しば よしたつ[注 4])は、戦国時代の守護大名・戦国大名。
注釈
- ^ 『斯波家氏以来系譜』、『東庵法語』等の没年齢より逆算。
- ^ 『斯波家氏以来系譜』、『東庵法語』等。他に大永元年(1521年)説(『清須合戦記』)あり。
- ^ 『系図纂要』に「妙善院殿(日野富子)猶子」とある。
- ^ a b c d e f g h 義達は「よしみち」と読む説がある(「よしみち」と呼んだ場合、織田達定は「おだみちさだ」、織田達勝は「おだみちかつ」といったようになる)。後に「義敦(または義淳)」と改名したといわれるが、義達と義敦は別人という説もある。
- ^ 「武衛系図」では子の義統と共に抜け落ちており、孫の斯波義銀を(清和天皇から数えて)24代目としているが、正しくは義達が24代目である。
- ^ 斯波義廉の孫という説(義廉 - 義寛 - 義達)や子という説(義廉 - 義達)もある[2]。
- ^ 『言継卿記』天文2年7月2日~8月18日に、義達を「武衛(義敦)」、また同じく義達の子である義統を「武衛息治部大輔(義統)」とそれぞれ記していることから、言継が義達(義敦)・義統親子に面会した事が窺える。
出典
[続きの解説]
「斯波義達」の続きの解説一覧
- 1 斯波義達とは
- 2 斯波義達の概要
- 3 偏諱を受けた人物
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