政治背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:31 UTC 版)
戦国期の遠江国は駿河今川氏の侵攻を受け、永正14年(1517年)に今川氏親が遠江守護である斯波氏を打ち破り、浜松荘代官・大河内貞綱を討ち取り守護・斯波義達を生け捕る大勝を挙げた。これ以降遠江国は今川氏の領国に組み込まれ、飯尾氏・天野氏・井伊氏などの遠江の国衆は今川氏の傘下に入った。 氏親の死後も跡を継いだ氏輝・義元によって遠江国や隣国・三河国は今川領国として支配下にあったが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで義元が討ち死にすると転機が訪れる。今川氏の家督は子の氏真が継いだが、翌年(1561年)3月の上杉謙信の関東侵攻を受けた同盟国・後北条氏への援軍派遣や4月の松平元康(徳川家康)の三河牛久保城攻撃による今川氏からの離反により、情勢は一気に不安定化した。三河国は今川方と松平方の国衆に分かれて国を二分する紛争状態となり、足利義輝や北条氏康による今川・松平両者の和睦を斡旋する動きもあったが、各勢力の努力虚しく両者は紛争を継続させていった。 このような三河国の情勢不安定化は隣国である遠江国にもやがて波及していき、永禄6年(1563年)頃から遠江各地の国衆が同時多発的に今川氏から離反していった。
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