織田弾正忠家の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 07:07 UTC 版)
義達が行った一連の遠江遠征は重臣である織田一族がこれに反対しており、義達は守護直属の軍を率いて対今川戦を戦うなど、ほぼ独力で今川軍に当たっていた。さらに遠征の件で意を異にしていた守護代の達定とは合戦にまで及び、ついにこれを討ち取っている。以上からも義達自身は決して無能ではなく、むしろ守護代勢力との抗争には勝利しており、遠州遠征の成否如何によっては斯波氏は本格的な戦国大名へと成長する可能性もあった。しかし、今川氏との戦いで自身が捕虜となり遠征が失敗に終わると、かえって斯波氏の勢威は地に落ちてしまい、事実上大名としての斯波氏は崩壊した。 義達の敗北の結果、以降の尾張では戦国大名化に失敗した守護・斯波氏とそれ以前に義達によって駆逐されていた守護代・織田大和家に代わって、津島の経済を手中に収めて勢力を拡大した織田弾正忠家が戦国大名として台頭してくる。
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