戦国大名化
戦国大名化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:48 UTC 版)
戦国時代後期に入ると湊家に後嗣がなく断絶の危機を迎えたため、詳細は不明であるが 下国家の愛季が湊家をも継承して、元亀元年(1570年)に安東氏を統合し、安東氏の全盛期を築き上げた。愛季は上杉謙信、織田信長 らと対等の誼を通じ、天正5年7月22日(1577年8月6日)に従五位下に、天正8年8月13日(1580年9月21日)には従五位上侍従となる。一方、当時配下であった蠣崎慶広を使い浅利勝頼を謀殺するなど領内の反抗勢力を滅ぼし、旧湊家系国人衆の反乱である湊騒動を収め由利地方から大宝寺氏の干渉を駆逐する など権力基盤を固めた。これらにより、安東氏は戦国末期に至り、秋田郡・檜山郡・豊島郡・由利郡を勢力範囲とする戦国大名へと成長した。居城も檜山から脇本城(秋田県男鹿市)を経て天正17年(1589年)湊城へ移している。
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