戦国大名間の国分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/31 13:52 UTC 版)
戦国大名の争いの多くは「国郡境目相論」と呼ばれる領土間の国境を巡る争いに由来していた。このため、大名間で和議・同盟を締結する場合には、本主権・当知行権などに基づいた国分によって国・郡・領単位における互いの領国の範囲とその国境を定めて以後の「国郡境目相論」を抑制することが行われた。婚姻や養子などの縁組は十分条件にすぎなかったが、国分は必要条件であり、国境線の変更を伴った場合には所属先が変更された土地を領する家臣までもが相手方に譲渡される場合もあった。さらにその和議・同盟が破棄・終了された後も両者間の衝突が起こらない限りは国分は尊重されて一定の拘束力を保持していた。その一方で、国分の内容が当知行の実態と乖離している場合(追放された旧領主の復帰などを伴うケースなど)には国分の内容が完全に実施される保証はなかった。 戦国時代の後期、特に東国の有力大名(北条氏・里見氏・上杉氏・武田氏・今川氏・徳川氏・織田氏など)の間で相次いで同盟が締結され、その条件として国分による領土の相互尊重が行われた。国分の進展に伴って、各大名間の領国は次第に画定が進められていくようになる。
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