戦国大名家の足軽大将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/28 14:45 UTC 版)
戦国大名家の各家には足軽に関係する文書が残されており、足軽大将の存在が確認される。 甲斐国の戦国大名である武田氏においては『甲陽軍鑑』品十七「武田法性院信玄公御代惣人数之事」においては武田信玄晩年期の家臣団の全容が記されているが、この中には「足軽大将衆」として21名が挙げられており、確実な文書上からも足軽を率いていた実態が確認されている。武田氏の足軽大将は甲斐出身者の甲斐衆と他国出身で武田氏に仕えた他国衆に大別され、甲斐衆の大半は奥近習や使番を務めた小身で、有力家臣の師弟や一族がほとんど含まれないことが指摘されている。一方、他国出身者は足軽大将に任命されている事例が多い一方で、武田家の行政・軍事機構における役職は甲斐衆によって独占され、他国出身者が登用されることは極めて限定的であったことが指摘されている。
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