合戦に至る背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:22 UTC 版)
文中の( )の年はユリウス暦、月日は西暦部分を除いて全て和暦、宣明暦の長暦による。 岡崎城主として西三河の平野部を支配していた松平氏は、松平清康の代に三河全域をほぼ平定したが、天文4年(1535年)の森山崩れによって清康が不慮の死を遂げてから一族間の内紛が起こり、動揺していた。やがて清康の嗣子広忠が、東の駿河国・遠江国を支配する今川義元の後援を受けて岡崎城に戻り家督を相続するものの、依然として勢力は不安定だった。 尾張の南部に勢力を広げ、戦国大名化を進めていた織田信秀は天文9年(1540年)に松平氏の弱体化に乗じて西三河の松平氏の重要拠点である安祥城(愛知県安城市)を手中にし、松平氏の本拠である岡崎城の目前である矢作川のすぐ西までその勢力を伸ばしていた。
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