西園寺家の所領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 09:53 UTC 版)
鎌倉時代に西園寺家は諸国の知行国主となり、その所領は日本全国に存在したが、西園寺家が特に執着していたのは海上交通に面する所領だった。最も重要な所領は鎌倉時代を通じて事実上家領として支配してきた伊予国であり、1236年には西園寺公経が幕府に強要して橘公業の同国宇和郡の知行を止めさせて自らの所領にしている。南北朝動乱期には一円支配下に置いた宇和郡にその一流の立間氏や松葉氏を土着させて、室町時代以降にさらにその足場を固めて伊予の戦国大名化した(西園寺氏)。 江戸時代の家禄は597石だったが、実高は400石程度しか取れなかったという。維新後、戊辰戦争の軍功により賞典禄300石を永世下賜された。
※この「西園寺家の所領」の解説は、「西園寺家」の解説の一部です。
「西園寺家の所領」を含む「西園寺家」の記事については、「西園寺家」の概要を参照ください。
- 西園寺家の所領のページへのリンク