南北朝動乱期とは? わかりやすく解説

南北朝動乱期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 17:23 UTC 版)

古麓城」の記事における「南北朝動乱期」の解説

建武元年1334年)、建武の新政功臣である名和長年の子高が肥後国八代荘の地頭任命されたが、翌建武2年1335年)に地頭代として八代下向した一族の内河義真が、球磨川河口を南に望む山麓に城を築いたのが始まりである。中世においては築城者の名前をとって「内河の城」と称されており、後の麦島城松江城存在していなかったことから、近世以前には八代城と言えば古麓城のことをさした。 延元元年/建武3年1336年)、多々良浜の戦い勝利して九州再起した足利高氏南朝拠点である肥後国諸城攻めて菊池城落とし次ぎ一色道猷をして古麓城八代城)を囲ませた。義真逃げ古麓城には道猷・一色道長城主として残された。しかし高氏九州軍勢と共に京に発つと、菊池武重菊池城奪還し古麓城攻略し一色氏討ち死にした延元2年/建武4年1337年)、菊池武光付き従われ懐良親王は、大将軍地位良成親王譲り征西府隈府菊池市)から八代に遷して、高田御所(こうだごしょ)を建てた名和氏一族はこれを迎えて守護した。南北朝時代八代近辺では、宇土本拠とする名和氏南朝側、人吉本拠とする相良氏北朝側で、両者はしばし争っており、内河城を見張るための向城(むかいじろ)として西に萩原城が相良氏によって築城されたという記録がある。 観応の擾乱による北朝方の分裂があって、武光の時代征西府は再び隈府戻り一時太宰府高良山置かれ南朝方に九州席巻する勢いがあった。正平13年/延文3年1358年)、本州での南朝方の形勢不利により、長年の孫名和顕興八代下向した。この顕興が居城としたのが「八丁嶽城」である。正平14年/延文4年1359年)に筑後川の戦いで武光が少弐頼尚大友氏時破った後には九州武士団一時的ではあったが尽く南朝方になびき、北朝方に南九州球磨日向)の相良定頼など僅かな勢力残っただけの時期があった。 ところが、九州探題今川了俊登場でこれが一変した。了俊は次々と北朝方の勢力回復し永徳元年1381年)に菊池氏本拠地隈府城を再び陥れると、後征西将軍宮良成親王菊池武朝は顕興を頼って八代退いた一転して八代九州南朝方の最後拠点となるほどに追い詰められ永徳3年/弘和3年1383年3月、(地元の伝承では八代で)懐良親王崩御するが、突如として相良前頼南朝側に味方したので、名和氏はなんとか持ち直して今川氏攻撃を度々はね除けた。しかし、元中8年/明徳2年1391年)、了俊の子今川貞臣宇土城落とした余勢をかって、古麓城包囲した兵糧攻めにしつつ、杭瀬の顕興の居館攻めて名和氏郎党多くを斬り、前頼の援軍届かぬうちに飯盛城丸山城鞍掛城落とし詰城八丁嶽城包囲した逃げ場失った良成親王講和して城から退去することに同意し海路筑後国八女郡落ち延びたが、この時に顕興は幕府方降って所領安堵されている。 翌年明徳の和約他の地域では概ね南北朝の動乱は終わるが、九州では以後戦乱続いた応永4年/元中14年1397年)、武朝と顕興は、九州探題反目する少弐貞頼組んで後征西将軍宮再興しようとするが、大内義弘大友親世古麓城攻められ、顕興の兵は霧散し、叶わなかった。

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南北朝動乱期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:56 UTC 版)

桃井氏」の記事における「南北朝動乱期」の解説

南北朝期での一族南朝方・北朝方に別れて戦った1333年(正慶2年)には、桃井一族新田義貞鎌倉攻略戦に従軍したが、建武の新政崩壊後武家方宮方双方分裂して南北朝動乱期を迎えた。特に武家方桃井直常、直信兄弟驍将として名を馳せた越中国守護ともなった常だったが、観応の擾乱時から足利直義直冬勢の有力武将として常に尊氏敵対していた為、直義敗北後北朝幕府抵抗続けつつも次第衰退していった。

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