藤原氏の時代とは? わかりやすく解説

藤原氏の時代(鎌倉時代初期 ~ 南北朝動乱期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 20:57 UTC 版)

厳島神主家」の記事における「藤原氏の時代(鎌倉時代初期南北朝動乱期)」の解説

承久の乱結果承久3年1221年)頃に中原親能一族である藤原親実が新たな厳島神主となった。しかし藤原親実は幕府要人でもあり、厳島下向して神職務めことはなく、他の御家人同様、代官派遣による支配であったその後厳島神社安定した時代迎えるが、鎌倉時代末期には中央情勢変化もあり、徐々に社領下向する一族現れた。この頃より厳島神主家藤原氏安芸国土着し、永仁2年1294年)から永仁6年1298年)にかけて、厳島神主家藤原親宣は鎌倉幕府より社領として桑原新庄志路原平良庄、井原京都六波羅鎌倉屋敷地安堵され、在地勢力として勢力蓄えのである建武の新政から南北朝時代動乱では、最初鎌倉幕府軍として、千早城赤坂城に籠もった楠木正成と戦う等の行動見られる時の当主藤原親顕は騒乱巻き込まれ南朝建武3年延元元年/北朝建武3年1336年)に討死した。親顕の不慮の死により藤原親直が神主職を継承した南朝建武3年延元元年/北朝建武3年1336年)から南朝元中4年/北朝至徳4年嘉慶元年1387年)の50年もの長期渡って厳島神主家当主であった親直は、足利尊氏接近し、その庇護得た。そして南北朝の動乱一定の安定した時代迎えると、近隣小早川氏所領巡って争い起こし周防国太守大内氏へと接近して、その庇護得た結果大内氏従属する形となり、応永4年1397年)には大内満弘要請により少弐氏への攻撃参加し九州病没している。続いて当主となった藤原親胤も大内義弘に従って応永6年1399年)の応永の乱にも加わり足利幕府軍と干戈を交えた。義弘討死に伴い幕府軍降伏し足利義満に赦されて帰国した

※この「藤原氏の時代(鎌倉時代初期 ~ 南北朝動乱期)」の解説は、「厳島神主家」の解説の一部です。
「藤原氏の時代(鎌倉時代初期 ~ 南北朝動乱期)」を含む「厳島神主家」の記事については、「厳島神主家」の概要を参照ください。


藤原氏の時代(室町時代中期 ~ 戦国時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 20:57 UTC 版)

厳島神主家」の記事における「藤原氏の時代(室町時代中期戦国時代)」の解説

嘉吉4年/文安元年1444年)頃に藤原死去し神主家の当主藤原教親となった。教親は毛利氏一門である長屋氏(毛利元春 - 中馬広 - 中馬忠親 - 長屋泰親)からの養子であった毛利氏大江姓で、厳島神主家藤原氏中原氏)と同族でもあった上に、同じ安芸国人として繋がりで入嗣したと思われるこの頃厳島神主家所領安芸武田氏等に押領され、康正3年長禄元年/古河公方側:享徳6年1457年)には大内氏安芸武田氏合戦引き起こした文亀4年/永正元年1504年)に藤原教親が死去、跡を継いだ藤原興親永正5年1508年)に京都病死し厳島神主家勢力衰退一途辿り始める。同時に後継の座を巡って一族内でも内紛発生厳島神主家一族である友田小方加賀守厳島神主家正当な後継者主張して争うこととなった大永3年1523年4月友田安芸武田氏当主武田光和らの支援得て厳島神主家当主となり、後継者争いに一応の決着がついたように見えた。しかし大内氏翌年に兵を率いて桜尾城攻撃し、興隠居追い込み新たに藤原新たな厳島神主家当主とした。友田野望逞しい人物で、これくらいのことで諦めはしなかった。雌伏の期間を経て天文9年1540年)に吉田郡山城の戦い起きると大内氏反旗を翻し大内氏対決した。しかし翌年吉田郡山城の戦い毛利大内連合軍の勝利となり、興目論見外れた結果桜尾城大内氏大軍包囲され友田城内自害余儀なくされ、興の弟で厳島神主家当主藤原広就五日市自害した実質的にこれで厳島神主家滅亡した

※この「藤原氏の時代(室町時代中期 ~ 戦国時代)」の解説は、「厳島神主家」の解説の一部です。
「藤原氏の時代(室町時代中期 ~ 戦国時代)」を含む「厳島神主家」の記事については、「厳島神主家」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「藤原氏の時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原氏の時代」の関連用語

藤原氏の時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原氏の時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの厳島神主家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS