奥州藤原氏の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 02:15 UTC 版)
12~13世紀初めに手工業生産が行われていたとみられる遺構や遺物が出土しており、中世の船着き場「川湊」として利用されていたと推測される。鍛冶炉跡、平泉遺跡群では初となる素焼きのかわらけを焼いたと推定される遺構、4度建て替えられた掘立柱建物跡、道路の溝跡などが確認されている。中尊寺金色堂の藤原秀衡の棺に納められていた数珠玉に酷似する水晶製とみられる数珠玉(直径1.8センチメートル)、中国産陶磁器や国産陶磁器、かわらけなども数多く出土したことから鉄や銅、かわらけ、石製品の製作、加工が行われていたと推測される。
※この「奥州藤原氏の時代」の解説は、「白鳥舘遺跡」の解説の一部です。
「奥州藤原氏の時代」を含む「白鳥舘遺跡」の記事については、「白鳥舘遺跡」の概要を参照ください。
- 奥州藤原氏の時代のページへのリンク