一関本寺の農村景観
名称: | 一関本寺の農村景観 |
ふりがな: | いちのせきほんでらののうそんけいかん |
種別: | 重要文化的景観 |
都道府県: | 岩手県 |
市区町村: | 一関市 |
管理団体: | |
選定年月日: | 2006.07.28(平成18.07.28) |
選定基準: | 選1,選8,選複 |
追加選定年月日: | |
解説文: | 岩手県南部の栗駒山(標高1,627m)東麓に水源を発する磐井川の流域には、河岸段丘から成るいくつかの小盆地が連続し、豊かな農村地帯が展開している。そのうちの一つが一関市の本寺の地域で、特に中世平泉の中尊寺経蔵別当領に関係する骨寺村荘園遺跡の諸要素が良好に遺存することで知られる。同時に、冷涼な気候や水がかりに難のある地形など自然的条件に適応しつつ、近世・近代を通じて稲作等の農林業を継続的に営むことにより緩やかな発展を遂げ、岩手県南地方の風土とも調和して形成された特色のある農村の文化的景観である。居住地と周辺の農耕地・里山は豊かな生態系を維持し、丘陵裾部の居住地に近接する区域には、比較的小規模で不整形な区画から成る水田が残されているほか、微地形に沿って巡らされた用水系統にも自然環境に対応しつつ形成された伝統的な農耕地の姿が窺える。また、水田地帯の中に散村の形式で展開する各農家は、北西より吹き付ける強い季節風から家屋を護るために、イグネと呼ぶ屋敷林が巡らされている。このように、一関本寺の農村景観は、特有の歴史的起源に基づきつつ、岩手県南地方に独特の農耕・居住の在り方を小規模ながら簡潔かつ十分に示しており、我が国民の生活又は生業を理解する上で欠くことのできない文化的景観である。 |
一関本寺の農村景観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/28 07:17 UTC 版)
一関本寺の農村景観 | |
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骨寺村荘園(一関本寺)
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種類 | 中世以来の集落景観 |
所在地 | 岩手県一関市厳美町 |
座標 | 北緯38度58分42.0秒 東経140度57分12.0秒 / 北緯38.978333度 東経140.953333度座標: 北緯38度58分42.0秒 東経140度57分12.0秒 / 北緯38.978333度 東経140.953333度 |
一関本寺の農村景観(いちのせきほんでらののうそんけいかん)は、岩手県一関市厳美町の磐井川流域の本寺地域に存在する集落。2006年(平成18年)に重要文化的景観として選定された[1]。
概要
『吾妻鏡』や『陸奥国骨寺村絵図』に描かれた、平泉の中尊寺経蔵別当領に関係する骨寺村荘園遺跡の景観が良好に遺存する。岩手県南地方の、寒冷地気候や盆地地形など自然的条件に適応しつつ、奥州藤原氏の時代より、稲作等を継続的に営むことにより形成された特色のある農村の文化的景観である。農耕地・里山の生態系は多様性を維持し、居住地近郊は、小さく不揃いな水田や用水路が残っており、自然環境に対応しつつ形成された伝統的農村地帯を形成している。また、冬の北西からの季節風(やませ)を防ぐためのイグネ(屋敷林)を備えた農家が散在する。
世界遺産登録に向けた取り組み
2001年(平成13年)に世界遺産登録の前提となる暫定リストに「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」の一部(骨寺村荘園遺跡)として記載された。2008年(平成20年)の第32回世界遺産委員会の審議では、登録延期が決定した。
登録は結局見送られたものの、文化庁・岩手県では、ユネスコへの再度の申請を目指し、2011年(平成23年)5月に国際記念物遺跡会議が、世界遺産への登録を勧告したため、同年6月に「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産に登録された。
2012年(平成24年)、柳之御所遺跡・達谷窟(平泉町)、白鳥舘遺跡・長者ヶ原廃寺跡(奥州市)と共に再び暫定リストに記載された。
交通アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
- 一関本寺の農村景観 文化遺産オンライン
- 一関本寺の農村景観(いちのせきほんでらののうそんけいかん)-中世の風景 未来への遺産- 農林水産省
- 一関本寺の農村景観のページへのリンク