骨寺村荘園遺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 骨寺村荘園遺跡の意味・解説 

骨寺村荘園遺跡

名称: 骨寺村荘園遺跡
ふりがな ほねてらむらしょうえんいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 岩手県
市区町村 一関市
管理団体 一関市
指定年月日 2005.03.02(平成17.03.02)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 骨寺村荘園遺跡は岩手県南部奥州藤原氏拠点平泉の西約15km位置する中尊寺経蔵別当所領である。中世の骨寺村に関しては、重要文化財指定されている二葉の「陸奥国骨寺絵図」と文書とが中尊寺伝えられており、範囲景観内容具体的に知ることができる。二葉絵図はともに共通した構図で、縦長の図に東から西鳥瞰した描いている。その四至は『吾妻鏡』文治5年(1189)条に見える「東鎰懸、西山王窟、南岩井河、北峯山堂・馬坂」と一致する絵図の上部には遠望できる栗駒山山王窟の山々中央中心部盆地左側磐井川とその対岸山稜右側盆地北側山稜を描く。「詳細絵図」「在家絵図」などと称される絵図は、水田や家の形まで図像として詳細に描き景観具体的に示す。一方簡略絵図」「仏神絵図」と称される絵図は、全体比較簡略に描き神仏田などの宗教施設記している。図中には、骨寺跡六所宮ミタケ堂跡、白山不動窟、若神子社、慈恵塚などが文字と図で記されている。ともに年代不詳であるが鎌倉時代とされている。
寺村中心地はその遺称地本寺地区であり、東西流れ磐井川沿いの小盆地にある。東西3km南北1km広さがあり、標高は140mから180mで西から東に緩く傾く。盆地南北比高25m以上の河岸段丘崖、北は東西連なる丘陵挟まれ、その東端磐井川丘陵が迫る狭隘部、絵図の「鎰懸」となる。西側絵図正面位置する台地がある。その裾中央六所宮の説もある駒形根神社中腹白山社鎮座するここから3km西方山王窟がある。磐井川面してそそり立つ岸壁の上部に岩屋があり、その背後の谷には奇岩屹立している。北側丘陵には「ミタケ堂跡」と伝え岩場不動窟、慈恵塚、「馬坂新道」と推定される道があり、慈恵塚が所在する丘陵下にはその拝殿大師堂現存する盆地中央には帯状の微高地東西延び、その北側本寺川流れ南側絵図の「中澤」に比定される谷がある。盆地中央の水田内には若神子社の目立って見える。屋敷林を伴う現在の宅地は、中央の高地北側丘陵裾に分布し絵図在家と同様である。現に北側丘陵裾に立地する梅木遺跡遠西遺跡では、遺物柱間寸法から中世推定される掘立柱建物発掘されている。また、北側丘陵上には中世後期山城推定される要害館跡がある。現在、宅地周辺に畑があるほかは一面水田である。このような状況は、磐井川から取水する近世下り用水開削大正期揚水機設置によって形成されたものであり、中世における用水源は北側山水本寺川中澤谷水しかなく、水田面積限られていたと推測される。しかし、これまで圃場整備行われておらず、駒形根神社起点とした現在の用水体系基礎中世さかのぼ可能性があり、不定形水田区画往時面影とどめている。
このように骨寺村荘園遺跡は、中世の村景観具体的に描いた貴重な絵図文書残されているとともに絵図描かれ寺社岩屋などの施設現存している。また、東北地方中世村落でかつ平泉中尊寺支えた荘園具体的様相を知る上で欠くことのできない遺跡であるばかりか大規模な開発なされず周辺の地形環境景観がともに極めて良好に保存されており、現地絵図世界実際にうかがうことができる稀有なものである。よって、荘園遺跡構成する山王窟、不動窟、白山社駒形根神社、伝ミタケ堂跡、若神子社、慈恵塚、大師堂梅木遺跡遠西遺跡要害館跡について史跡指定し保護図ろうとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  馬渡埴輪製作遺跡  馬高・三十稲場遺跡  駒形遺跡  骨寺村荘園遺跡  高ヶ坂石器時代遺跡  高井田横穴  高取城跡

骨寺村荘園遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/26 06:34 UTC 版)

骨寺村荘園遺跡
骨寺村荘園(一関本寺)
種類 中世集落
所在地 岩手県一関市厳美町本寺地域
座標 北緯38度58分42.0秒 東経140度57分12.0秒 / 北緯38.978333度 東経140.953333度 / 38.978333; 140.953333座標: 北緯38度58分42.0秒 東経140度57分12.0秒 / 北緯38.978333度 東経140.953333度 / 38.978333; 140.953333
登録日 2005年平成17年)3月2日指定

骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)は、岩手県一関市厳美町本寺地域に位置する遺跡である。中尊寺に伝わる、国の重要文化財に指定された2葉の中世荘園絵図に描かれた村落景観が現存する。2005年(平成17年)に国の史跡に指定された。また、史跡指定区域を包括する伝統的な村落景観が一関本寺の農村景観(いちのせきほんでらののうそんけいかん)として、2006年(平成18年)に重要文化的景観に選定された。

概要

「骨寺村」は、平泉の西方約15キロメートル、磐井川沿いの小盆地に所在しており、中尊寺経蔵別当の所領であった荘園である。

骨寺村荘園遺跡は、『陸奥国骨寺村絵図』(むつのくにほんでらむらえず)の「骨寺村在家絵図」と「骨寺村差図」に描かれた景観が鎌倉時代当時のまま現存する遺跡として知られる。中世の村落景観を具体的に描いた貴重な絵図文書が中尊寺に伝来する[1]とともに、絵図に描かれた寺院神社、岩屋などの施設が今日まで伝えられている。

中世奥羽地方の村落の様相を伝える数少ない考古資料であり、中尊寺を支えた荘園の詳細を知る上でも学術上きわめて重要な遺跡である。さらに、大規模な開発行為がなされず、周囲の地形環境、景観がいずれもきわめて良好に保存されており、絵図の世界を現地で実際にうかがうことのできる稀少な遺跡であることから、2005年平成17年)3月2日、国の史跡に指定され、荘園遺跡を構成する山王窟、不動窟、白山社、駒形根神社、伝ミタケ堂跡、若神子社、慈恵塚、大師堂、梅木田遺跡、遠西遺跡、要害館跡について保護が図られることとなった。現在、管理団体である一関市を中心に、遺跡保存と活用の取り組みが進められている。

世界遺産登録に向けた取り組み

2001年(平成13年)に世界遺産登録の前提となる暫定リストに「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」の一部として記載された。2008年(平成20年)の第32回世界遺産委員会の審議では、登録延期が決定した。登録は結局見送られたものの、文化庁・岩手県では、2009年(平成21年)に骨寺村荘園遺跡を含む4資産を除外して、2010年(平成22年)にユネスコへ再度、申請をした。2011年(平成23年)5月に国際記念物遺跡会議が、世界遺産への登録を勧告したため、同年6月に「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産に登録された。

2012年(平成24年)、柳之御所遺跡達谷窟平泉町)、白鳥舘遺跡長者ヶ原廃寺跡奥州市)と共に再び暫定リストに記載された[2]

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

  • 一関市博物館 編 『奥州平泉中尊寺経蔵別当領 中世荘園骨寺村』一関市博物館、2008年。 NCID BA86970547 

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「骨寺村荘園遺跡」の関連用語

骨寺村荘園遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



骨寺村荘園遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの骨寺村荘園遺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS