緩衝地帯
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緩衝地帯(かんしょうちたい、英語: Buffer Zone)とは、地政学の用語のひとつで、大国や大きな文化の核に挟まれた諸国・地域のこと。このような地帯を挟むことで、対立する国家間の衝突をやわらげる効果が期待できる。
- ^ 環境省自然環境局 > 生物多様性国家戦略 > バッファーゾーンの設置による獣害対策の例
- ^ 河野俊行「世界遺産条約とバッファゾーン」
- ^ ジョン・オロッコリン編・滝川義人訳『地政学事典』(東洋書林、2000年)49-50頁。
- 1 緩衝地帯とは
- 2 緩衝地帯の概要
緩衝地帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 09:13 UTC 版)
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の記事における「緩衝地帯」の解説
構成資産を取り巻く緩衝地帯は大浦天主堂を除き、潜伏キリシタンと海との関係(例えば貝を代用聖具にするなど)を示唆するため、洋上にまで範囲を設定している。原城跡では城の守りの要となった北・東・南面の島原湾を自然の要害として城の一部と見立てている。出津集落と大野集落は集落西面の角力灘を含み、特に出津では浜口地区が漁村であったため、海上を含めることは潜伏キリシタンの生活の一端を捉えることになる。﨑津集落も漁村であることから羊角湾の﨑津港全域。春日集落は浜辺から対岸の生月島を隔てる辰ノ瀬戸に及び、そのまま中江ノ島までを包括する。黒島の集落・野崎島の集落跡・頭ヶ島の集落・久賀島の集落では島を取り囲む周囲の海洋域が取り込まれ、頭ヶ島では法的保護根拠となる重要文化的景観に基づき(下記「重要文化的景観として」の節を参照)「新上五島町崎浦の五島石集落景観」に含まれる中通島の赤尾・江ノ浜・友住地区(いずれも漁村)まで網羅。江上集落は大串湾全域が指定されている。
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緩衝地帯
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「プレシェヴォ渓谷危機」の記事における「緩衝地帯」の解説
1999年のコソボ紛争の後、国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)統治下となったコソボの州境からユーゴスラビア連邦共和国本土の側に幅5キロメートルの地上安全地帯(Ground Safety Zone; GSZ)が設定された。ユーゴスラビア連邦軍の部隊はこの地域をパトロールすることは認められず、軽武装の警察部隊のみが治安維持にあたるとされた。この緩衝地帯の中には、ブヤノヴァツ自治体に属し、アルバニア人が多数を占めるドブロシン / ドブロシニ(Dobrosin / Dobrosini)村が含まれていた。
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緩衝地帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 10:20 UTC 版)
緻密な構造の円石はその周囲にある程度の海水を保持しており、これが細胞と外部環境とのバッファとして機能しているとする説。
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緩衝地帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:58 UTC 版)
「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の記事における「緩衝地帯」の解説
沖縄島北部においては、登録範囲の南東面(伊湯岳南東麓)で全長約25キロメートルにわたり緩衝地帯が設定されていない。一帯は在日米軍の北部訓練場残余地のため治外法権により立ち入りが制限されており、実質的に緩衝地帯の代用を果たしている。また隣接地は福地川に設けられた福地ダムによる福上湖(ダム湖)の貯水水位が各支流にまで入り込み、完全に自然な状態での水辺環境が保たれていないが、険しい地形もあり開発の手が及ばないため緩衝地帯にはなっていない。 西表島は南東部の大原港から北西部の白浜港を結ぶ沖縄県道215号白浜南風見線沿道の海岸線と集落地域を除き、島の約9割が登録範囲という濃密さで(そのため上掲地図からは割愛)、緩衝地帯がわずかに付随する。島の南部から西部にかけては海岸まで登録範囲であり、緩衝地帯が設定されていない。
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緩衝地帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:55 UTC 版)
構成資産を取り巻く緩衝地帯は西部の山間部(構成資産候補だった達谷窟界隈)を除く平泉町の約三分の二を占める町域(北上川より東の束稲山から南は一関市との境界まで)が広く網羅され、町内を通過する東北本線や国道4号なども含まれる。特に平泉駅から中尊寺に至る町中には、毛越寺庭園鑓水水源の照井堰用水末流や花立溜池、柳之御所に給水していた旧猫間ヶ淵、埋没消滅した鈴沢池の灌漑など、藤原氏時代に整備された池水用水路を、鎌倉時代には原野と化していた平泉を葛西氏や伊達政宗・一関藩が開墾した際に農業用水として活かした景観が現在まで残ることと(コンクリート護岸化や暗渠化されている部分もある)、住宅地・田畑や道路・鉄道用地の大半が周知の埋蔵文化財包蔵地(藤原氏時代の平泉街地)であることから緩衝地帯となった。 さらに当初構成資産候補であった長者ヶ原廃寺跡と白鳥舘遺跡をカバーするために設定した平泉町から連続する奥州市の一部(北上川と衣川流域)がそのまま採用されたが、骨寺村荘園遺跡がある一関市部分は除外された。
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