ハルフォード・マッキンダーとは? わかりやすく解説

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ハルフォード・マッキンダー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/10 02:40 UTC 版)

ハルフォード・マツキンダー
Sir Halford John Mackinder
人物情報
生誕 1861年2月15日
死没 (1947-03-06) 1947年3月6日(86歳没)
国籍 イギリス
出身校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ
学問
研究分野 地理学地政学
特筆すべき概念 ハートランド
主要な作品 デモクラシーの理想と現実
主な受賞歴 チャールズ・P・デイリー・メダル
金メダル
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サー・ハルフォード・ジョン・マッキンダーSir Halford John Mackinder, 1861年2月15日 - 1947年3月6日)は、イギリス地理学者政治家である。ハートランド理論を提唱し、この概念は地政学の基礎的な理論付けとなった。事実上の現代地政学の開祖ともいえる。

出典:『歴史の地理学的な回転軸』, Geographical Journal 23, no. 4 (April 1904)

概要

ハルフォード・マッキンダー卿は、ハートランド論を唱え、ユーラシアを基点とした国際関係の力学を地理的に分析した。なお、マッキンダーは自身の理論を一度も地政学と称したことはないが、今日における地政学という体系はほぼマッキンダーの理論をその祖と仰いでいるといっていい。マッキンダーの主張は以下の通り。

  1. 世界は閉鎖された空間となった。
  2. 人類の歴史はランドパワーシーパワーの闘争の歴史である。
  3. これからはランドパワーの時代である。
  4. 東欧を制するものは世界を制する。

海洋国家イギリスに生まれ育ちながらマッキンダーがランドパワー論者となったのは、大陸国家の勢力拡大への脅威から海洋国家イギリスを如何に守るかという戦略のあり方について研究の重きを置いたことによる。

マッキンダーの理論では、そもそも大陸国家と海洋国家は相性が悪いということが基本原理となっている。海洋国家はけして攻撃性の強いものではないが、隣国の勢力が強くなることを忌み嫌う。大陸国家は外洋に出て、新たな海上交通路や権益の拡大をしようとすれば、海洋国家はそれを防ぐべく封じ込めを図ろうとする傾向を持つ。そうしたことから大陸国家と海洋国家の交わる地域での紛争危機はより高まる。

マッキンダーは1900年代初頭の世界地図をユーラシア内陸部を中軸地帯(ハートランド)、内側の三日月地帯、外側の三日月地帯とに分け、「東欧を支配するものが、ハートランドを支配し、ハートランドを支配するものが世界島を支配し、世界島を支配するものが世界を支配する」とした上でイギリスを中心とした海軍強国が陸軍強国による世界島支配を阻止すべきだと論じた。

さらにマッキンダーはドイツソ連の覇権闘争を予見し、イギリスなどの海洋国家の脅威になると述べ、ドイツとソ連の膨張を恐れ、独ソ間に緩衝地帯を設けよと主張し、さらに海洋国家によるミッドランド・オーシャン連合を提唱した。

マッキンダーの理論は地政学の世界に大きな功績と影響をもたらしたが、その理論は大艦巨砲主義の思考に留まるものであり、次第に注目された航空機戦力などによる空軍力のシーパワーへの影響を軽視したため、マッキンダーのハートランド論は時代遅れであるという批判を受けることになる。とりわけ空襲という戦法がとられるようになった第一次世界大戦以降、強力な艦隊を以って制海権の維持を志向する海軍国の戦艦中心の戦略論は大きな転換期を迎えた。後継理論にニコラス・スパイクマンリムランドがある。

経歴

生い立ち

1861年リンカンシャーのゲインズバラでスコットランド系の医者の長男として生まれる。若い頃から周囲の自然に興味を示し、オックスフォード大学では生物学を専攻しようとしたが地質学歴史法学を学び、そのいずれにも頭角を表した。法学の分野においては弁護士の資格を取得している。その後も自然に関する関心と情熱は止みがたく、広く国内を旅行して、自然科学と人間社会を結びつける中間的な概念としての「新しい地理学」を提唱し、学会の注目を引いた。

地理学

ちょうどその頃、イギリスの王立地理学協会(the Royal Geographical Society)では、地理学を大学の正規の講座に昇格させるための猛烈な運動を始めていた。このため1899年オックスフォード大学が地理学院(the Oxford School of Geography)を開設したときには初代院長に迎えられた。さらに彼は1904年ロンドン大学に新設された政治経済学院(the Economics and Political Science)の院長に就任し、その後20年に渡って同学院の経営に専念するかたわら、経済地理の講義を続けた。この学校の卒業生や留学生の中から英連邦諸国の政治家外交官を輩出している。

政界

マッキンダーは学生時代から政治にきわめて強い関心を持ち、1900年自由党から立候補して落選した後、1910年保守党と自由党の一部が参加した統一党として下院に当選を成し遂げ、1922年の選挙で敗退するまで下院に議席を持っていた。その交友の中には、L・S・エーメリやミルナー卿など、当時の有名な政治家の名前がみられる。だがその後の出馬を断念したのは、おそらくはその学究肌が下院の空気と合わなかったためとみられる。にもかかわらずマッキンダーの祖国イギリスと世界の現状を憂うる発言は高く評価され、とりわけ第一次世界大戦後の平和体制や国際連盟の構想を考える上での色々な参考にされた。ドイツとオーストリアの連合勢力を敗北に導いた最大の功績は、とりわけ英国海軍が主として行った大陸封鎖の作戦にあったので、その講和における発言力もまた相応に大きかった。

一次大戦後

マッキンダーは第一次世界大戦を基本的にユーラシア大陸の心臓部(ハートランド)を制覇しようとするランドパワーと、これを制止しようとする海島国(イギリス、カナダアメリカブラジルオーストラリアニュージーランド日本)の連合およびフランスイタリア等の半島国、言い換えればつまりシーパワー、との間の死活をかけた闘争であると見た。そして、今後の世界の平和を保証する為には、東欧を一手に支配する強力な国家の出現を絶対に許してはならないと力説した。マッキンダーの国際連盟の構想は、いわばこの目標を実現することに賭けられていたといっても良い。戦後の1919年から1920年にかけては南ロシアにおける英国の高等弁務官としてオデッサに駐在し、白軍勢力をまとめることに苦労したが、これは成功しなかった。しかしこのような国家的功績によって、ナイトの称号を授けられる。その後マッキンダーはいくつかの公職を歴任しているが、その主なものとしては、1926年に枢密顧問官に就任したことと、それから1920年以降1945年に至るまでイギリスの船舶統制委員会の議長を務め、1926年から1931年に至るまで、英帝国経済委員会の議長も務めている。

晩年

第二次世界大戦の最中、マッキンダーが82歳の時に、アメリカの雑誌フォーリン・アフェアーズ1943年7月号)に「球体の世界と平和の勝利」(the Round World and the Winning of the Peace)という題で最後の寄稿をしている。

1947年3月6日にドーゼットの自宅で死去。

逸話

1899年9月13日、アフリカ大陸第2位の高山、ケニア山の初登頂を果たした。

著書

  • Britain and the British Seas, (W. Heinemann, 1902, 2nd ed., 1922).
  • The Rhine: its Valley & History, (Chatto & Windus, 1908).
  • India: Eight Lectures, (G. Philip & son, 1910).
  • The Teaching of Geography & History: A Study in Method, (G. Philip, 1914, 2nd ed., 1918).
  • Democratic Ideals and Reality: A Study in the Politics of Reconstruction, (Constable, 1919).
    曽村保信訳『デモクラシーの理想と現実原書房、1985年
    改題『マッキンダーの地政学---デモクラシーの理想と現実』同、2008年。ISBN 978-4-562-04182-4
  • The Modern British State: An Introduction to the Study of Civics, (G. Philip, 1922).

参考文献

  • ジェフリー・スローン「ハルフォード・マッキンダー卿 ハートランド理論の流れ」
    • コリン・グレイ、ジェフリー・スローン編『進化する地政学―陸、海、空 そして 宇宙へ』
奥山真司訳・解説、五月書房「戦略と地政学1」、2009年。ISBN 978-4-7727-0479-3
  • Ashworth, Lucian M. "Realism and the spirit of 1919: Halford Mackinder, geopolitics and the reality of the League of Nations", European Journal of International Relations, 17(2), June 2011, 279–301.
  • Blouet, Brian. Global Geostrategy, Mackinder and the Defence of the West, Londres, Frank Cass, 2005.
  • Blouet, Brian. Halford Mackinder: A Biography. College Station: Texas A&M University Press, 1987.
  • Blouet, Brian, "The imperial vision of Halford Mackinder", Geographical Journal, Volume 170 Issue 4, Pages 322–329.
  • Blouet, Brian W., "Sir Halford Mackinder as British high commissioner to South Russia 1919–1920". Geographical Journal, 142 (1976), 228–36.
  • Cantor, L.M. "The Royal Geographical Society and the Projected London Institute of Geography 1892–1899". The Geographical Journal, Vol. 128, No. 1 (Mar. 1962), pp. 30–35
  • Fettweis, Christopher J. "Sir Halford Mackinder, Geopolitics, and Policymaking in the 21st Century", Parameters, Summer 2000
  • en:Robert D. Kaplan (2012) The Revenge of Geography: What the Maps Tell Us About the Coming Conflicts and the Battle Against Fate New York: Random House. ISBN 978-1-4000-6983-5
    • 『地政学の逆襲―「影のCIA」が予測する覇権の世界地図』 櫻井祐子訳、朝日新聞出版、2014年
  • Kearns, Gerry. "Halford John Mackinder, 1861–1947". Geographers: Biobibliographical Studies, 1985, 9, 71–86.
  • Kearns, Gerry. Geopolitics and Empire: The Legacy of Halford Mackinder. Oxford: Oxford University Press, 2009.
  • Parker, Geoffrey. Western Geopolitical Thought in the Twentieth Century, New York: St. Martin's Press, 1985.
  • Parker, W.H. Mackinder: Geography as an Aid to Statecraft, Oxford, Clarendon Press, 1982.
  • Sloan, G.R. Geopolitics in United States Strategic Policy, Brighton: Wheatsheaf Books, 1988.
  • Sloan, G.R. "Sir Halford Mackinder: the heartland theory then and now", in Gray C S and Sloan G.R., Geopolitics, Geography and Strategy. London: Frank Cass, pp. 15–38.
  • Unstead, J.F. H. J. Mackinder and the New Geography, The Geographical Journal, Vol. 113, (Jan. – Jun. 1949), pp. 47–57
  • Venier, Pascal. "The Geographical Pivot of History and Early 20th century Geopolitical Culture", Geographical Journal, vol. 170, no 4, December 2004, pp. 330–336.

関連項目

脚注



ハルフォード・マッキンダー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 15:33 UTC 版)

戦略地政学」の記事における「ハルフォード・マッキンダー」の解説

ハルフォード・マッキンダーの代表作デモクラシーの理想と現実』が発表されたのは、1919年のことであった同書ハートランドについての彼の理論提示するとともにパリ講和会議地政学的要因十分に考慮することを主張しており、ウッドロウ・ウィルソン理想主義地理学見地に基づく現実対比させた。本書は"東欧支配する者はハートランド制しハートランド支配する者は世界島制し世界島支配する者は世界制する"との格言つとに知られる。 このメッセージは、ドイツロシア分離するための緩衝地帯必要性から、パリ講和会議世界政治家たちにハートランドへの到達戦略上重要な東欧価値訴えるために作られたものであった。これらの緩衝地帯和平交渉によって作られたが、1939年には効果のない防波堤であることが証明された(戦間期における政治家たちの失敗と同様と言えるかもしれないが)。彼の仕事最大関心事は、別の大きな戦争可能性警告することであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズ警告している)。 マッキンダーは反ボリシェビキであり、1919年末から1920年初頭にかけてのロシア南部イギリス高等弁務官として、白ロシア軍への支援継続する必要性強調したマッキンダー功績は、イギリス地理学が独自の学問として確立される道を切り開いたことである。 地理学教育発展させたという点に置いて、おそらく他のイギリスの地理学者比べて彼の役割は最も大きいものであろうオックスフォード大学1934年に至るまで地理学教授職を置くことはなかったが、リバプール大学ウェールズ大学アベリストウィス校は1917年地理学教授職設置したマッキンダー自身1923年ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)の地理学正教授となったマッキンダー2つ新しい用語を英語に導入したと言われる。すなわち"マンパワー"と"ハートランド"である。 ハートランド理論国家有機体説Geopolitik)を唱えるドイツ学派、特にその主要な提案者であるカール・ハウスホーファーによって熱狂的に取り上げられた。なお、国家有機体説1930年代ナチス・ドイツによって受け入れられることとなる。ドイツにおけるハートランド理論解釈は、第二次世界大戦時におけるフランク・キャプラ監督のアメリカプロパガンダ映画我々はなぜ戦うのかシリーズ第二弾である「ナチス侵攻!(英語版)」で明示的に言及されている(マッキンダーとの関連については言及されていない)。 ハートランド理論より一般的に古典的地政学)及び地政戦略学は、冷戦時代米国の外交政策立案に非常に大きな影響力持っていた。 マッキンダーハートランド理論は、地政学者ディミトリー・キツィキス地政学モデル中間領域」などにおいても見られる

※この「ハルフォード・マッキンダー」の解説は、「戦略地政学」の解説の一部です。
「ハルフォード・マッキンダー」を含む「戦略地政学」の記事については、「戦略地政学」の概要を参照ください。

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