ハルフテルによる補筆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 09:22 UTC 版)
「アトランティーダ (ファリャ)」の記事における「ハルフテルによる補筆」の解説
ファリャが死んだ段階で、プロローグはオーケストレーションまで完成していたが、ほとんどがアウトラインだけの状態であり、スケッチどまりの部分もあった。それでも『アトランティーダ』の完成を望む声は大きく、ファリャの唯一の弟子であり、『7つのスペイン民謡』や『ファンタシーア・ベティカ』(ベティカ地方の幻想曲)のオーケストラ編曲を行った作曲家ハルフテルが補筆に当たることとなった。ハルフテルは断片的なスケッチを台本に従って構成し直すところから作業を開始し、1960年に完成させた。完成した『アトランティーダ』はイタリアの出版社リコルディにより、ミラノでの初演が企画されたが、スペインでの初演を望む人々による署名などの請願活動の結果、1961年11月24日にバルセロナのリセオ歌劇場においてオラトリオ形式による初演が行われた。演奏には地元の合唱団など200名以上が参加し、客席は満杯となった。 その後、1962年6月18日にミラノにおいてトーマス・シッパーズ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団によるイタリア初演が行われ、ニューヨーク(エルネスト・アンセルメ指揮)、ベルリン(オイゲン・ヨッフム指揮)、アジンバラ、ブリュッセル、ブエノスアイレスなどで演奏された。
※この「ハルフテルによる補筆」の解説は、「アトランティーダ (ファリャ)」の解説の一部です。
「ハルフテルによる補筆」を含む「アトランティーダ (ファリャ)」の記事については、「アトランティーダ (ファリャ)」の概要を参照ください。
- ハルフテルによる補筆のページへのリンク