イタリア初演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:15 UTC 版)
「外套 (プッチーニ)」の記事における「イタリア初演」の解説
イタリアでの初演は翌1919年1月11日、ローマ・コスタンツィ劇場で(同じく「三部作」の第一演目として)行われた。配役はカルロ・ガレッフィのミケーレ役、マリア・ラビアのジョルジェッタ役、エドアルド・デ・ジョヴァンニのルイージ役であった。 このイタリア初演の評価は米国並かそれ以下で、とても好意的なものとは言えなかった。イタリアではこの1919年当時、ヴェリズモ・オペラそのものが(新作のオペラとしては)流行遅れの様式と見做されていたことも一因だろう。 なお観客中にはアルトゥーロ・トスカニーニの姿もあった。彼はプッチーニの作曲完成直後に『外套』総譜に既に目を通しており、それを「最低のグラン・ギニョール」と批判していたが、このイタリア初演時も『外套』終演と同時に席を立ち、残り2曲を聴きもせず劇場を後にしたと伝えられる。プッチーニはその行為に激怒した。彼ら2人の関係はプッチーニの死の直前、『トゥーランドット』作曲が大詰めとなる1923年頃まで修復されることがなかった。 なお、その後1921年になり、プッチーニはミケーレのアリアを差し替えて、これが『外套』最終版となった。
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