イタリア半島上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「イタリア半島上陸」の解説
北アフリカ戦線に勝利した米英軍は、イタリア侵攻が可能となった。1943年7月にシチリアへ上陸作戦を決行して成功。連合国の激しい空襲でイタリア人の戦意は衰え、ストライキや暴動が多発し、ムッソリーニは失脚。後任の首相ピエトロ・バドリオは9月にも連合国と講和し、イタリアは戦争から脱落した。この後イタリアはドイツ軍によって占領されたため、結局戦場になった。米英軍は1943年9月9日にナポリの南方サレルノへの上陸に成功したが、アルベルト・ケッセルリンク元帥率いるドイツ軍の勇戦で米英軍は散々に蹴散らされてほとんど侵攻できなかった。最終的にはノルマンディー上陸作戦に呼応した1944年5月の攻勢でようやくドイツ軍を押し込むことに成功し、1944年6月4日にローマを陥落させた。
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